さて先日、修理が完了したという電話があったのでさっそく銀座へ。
見るも無残な姿だったいちまさん、完全復活。
髪は人毛ではなく、現在普通に使われる絹糸にしてもらったが、(人毛はさらに高価なので)お顔は塗り直されて目鼻のひどい傷もわからなくなり、欠けた指も復元され、すっかり顔色も良くなってリフレッシュ。
以前の髪よりちょっと長くなったので、少し大人びた印象も。
もうひとりのほうもちょっと化粧直しをしていただいたので、健康的で晴れやかなお顔になっていた。
嬉しかったのはふたりともお座りができるようになったこと。
今までは立っていたためケースに入れることができず、それであんな事故に遭っちゃったわけだがこれで安心♪
だいいちいくらスタンドで支えられてるとはいえ、立ちっぱなしではいちまさんも疲れてしまうだろう。
人形専用のコレクションボードはもう満杯なのだが、ぎゅ~っと詰めてもらってふたりを座らせた。
何だかほっとしているようで、こちらまで嬉しくなる。
トホホの散財だったが、やはり直してもらって良かった♪
左が光龍斎作
右が輝国作だそうです
それと、さすが三代続く老舗の人形師さん、
思いがけなく人形の作者を教えていただいた。
修理した人形は確か京都の人形、ということだったが、
作者は瀧澤光龍斎、着付けをしたのが京都の着付け師、大木平蔵という人だそうだ。
光龍斎といえば大正から昭和にかけて、東京を中心とした市松人形制作の重鎮であった人。
昭和初期にアメリカから友情の証として送られてきた人形のお礼に日本からも市松人形(答礼人形)を送ることになった折、その製作の中心人物となった人でもある。
一方の大木平蔵も調べてみたら京都で現在も続いている歴史ある名店だそうで、そんな人形師の作であったとは・・。
もうひとりの子の作者は輝国という人とのこと。
こちらも愛らしいお顔に、作者の力量がしのばれる。
ちなみにかぶきやのご当主も三代目、松乾斎東光という方。
先代、先先代もやはり答礼人形の修復などに係った方たちだそうだ。
「良いお人形ですよ、大事にしてあげて下さいね。時々抱いてあげると喜びますよ。」と優しく渡されたいちまさん、
はい、大切に可愛がりますよ。
本当にありがとうございました♪
ということで戻ってきた人形たち。
今はボードの中ですっかりくつろいだ表情をしている。
ワンズもニャンズも、もう二度と手を出せないからね~
・:*:・゜'★,。・:*:・'。・:*:・゜'★,。・:*:・゜'☆ ・:*:・゜'★,。・:*:・'。・:*:・゜'★,。・:*:・゜'☆
左は瀧澤光龍斎作の答礼人形、ミス・三重。
現在ネブラスカ大学博物館所蔵。
右はアメリカから友情の使節として贈られた人形のひとつ、ファンニー・ピオ。
現在札幌市教育委員会所蔵。
☆答礼人形について☆
昭和2年 アメリカ国内の排日運動に心を痛めた牧師、 L..ギューリックの発案で全米のボランティアが取り組み、
日米親善の掛け橋としてそれぞれパスポートを持った12000体の人形(抱き人形)が日本に贈られてきました。
人形たちは国内で熱狂的な歓迎を受け、 文部省を通じて全国の小学校や幼稚園に配布されていき、
配布を受けた各学校は学校あげての盛大な歓迎式典を催すほどでした。
それに対する答礼として日本では各府県道の代表人形となる58体の市松人形をアメリカに贈ったのです。
当時の東京、京都の有名、無名の人形師たちが精魂を傾けて制作した、芸術品ともいえる人形たちでした。
そんな友情の交流も空しく、やがて興った太平洋戦争のため日米双方の人形たちは過酷な運命を辿ることになります。
日本では戦争の悪化と共に人形は無駄なものとして排斥されたばかりか「友情の使節」は「仮面の使節」、
憎い敵国の人形に変わり、慈しんだ人形たちを学校ぐるみで焼却したり、
無残にも竹槍で突き刺して捨てたりしたそうです。
けれど「人形に罪はない」と こっそり持ち出したり、隠したりした教師もいました。
戦後何十年も経ってから発見された人形もかなり多く、現在国内には300体あまりの友情の人形が残り、大切に保存されているそうです。
その澄んだ瞳で、人形たちはどんな運命の激変を眺めてきたのでしょうね。

最近のコメント