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マンガ

2012年2月16日 (木)

3Dデビュー♪「ALWAYS三丁目の夕日’64」



行ってきました、「ALWAYS三丁目の夕日'64」
前作「ALWAYS続・三丁目の夕日」から5年。
もうシリーズは終わりかと思っていたけど、
ちょうど5年後の1964年の設定がうまくはまって、
なつかしくも楽しい映画に仕上がっていた。
登場する大人のメンバーはそれほど変わってないけど、
前作で可愛らしい小学生だった一平君と淳之介くん、
今ではもう立派な高校生!
まあぁ大きくなって・・と頬がゆるんじゃうのは、
もう親戚のおばさんの気分。

Always64b

1964年といえば東京オリンピック。
当時別に行きたくもないのに聖火が通過するのを見にいかされたりしたが、
子供から大人にスイッチが切り替わる時期で生意気盛りだったせいで、
オリンピックには懐疑的で興味も無かった。
それが開会式を見て、ほんとに感動してしまったのだ。
あの日のどこまでも晴れ上がった空、(確か前日は大雨だった)
鳴り響くファンファーレ、それぞれのコスチュームに身を包んだ各国選手の行進、
いっせいにする敬礼姿の何と美しいこと!
あまり感動して涙がふくれあがったが、一緒に観ている両親には死んでも見せたくなかったので必死に我慢してたことをよく覚えている。(笑)
閉会式はそれにもまして感動的だったなあ・・・
だから今でも私にとってオリンピックとは東京オリンピックであり、
他のは断片でしかないんです。
それほど印象が強かった。

Tokyool3_2 



舞台はその1964年、例によって大事件が起こるわけでもなく、
良き時代のそれぞれのエピソードが淡々と綴られる。
あの時代をなつかしむ人々の琴線をかきならしてくれる手腕は健在。
(今回もやっぱりボロボロ泣きましたワ)weep
第一作は4回も映画館に通ったっけ。
今回はそこまでの情熱はないけど、先週2Dバージョンを観に行き、
迷ったけどせっかくだからと今日は3Dバージョンへ。
3Dって料金が高いのね。
それと眼鏡代併せて+400円。
ということで3Dデビューですnote



眼が疲れると聞いていたし、ひょっとして頭痛がするかも・・・
と危惧していたけれどそれは大丈夫だった。
ただ、すごい!という気分が味わえたシーンはそれほど多くはなく、
普通の、人が絡んでいるシーンではあまり3Dの迫力を感じることがなくてちょっと拍子抜け。
本当に三丁目に入り込めた気がしたのはやはり第一作で、
当然3Dではなかったから、あまりリアルという点では関係ないのではと思った。
あと2Dでは何だかやたら画面が暗いのが気になったけど・・・。

でもでも冒頭、東京タワーを俯瞰した場面ではスゴイですよ。
東京タワーのてっぺんが目の前に・・手を伸ばせばつかめそう。
ラスト、模型飛行機が私の耳をかすめて後方に飛んでいった。
だからやはり「アバター」などは3Dで観たらすごいんでしょうね。
普通のは観たけど、やっぱり3Dで観直そうかな。



それで思い出したけど、私の好きな昔のマンガ「21エモン」(藤子不二雄作)
に未来のテレビが出てくる。
スクリーンはなくて、その世界の中に入って見てるという感覚なのね。
ほんとの仮想空間に身を置くパターン。
そういうのってそのうち本当に出来るのかも。
それこそ目が回りそうだけど・・・。

21emon_2

21エモン第一巻より



オリンピック、新幹線開通、
これからどんどん豊かになっていく、と希望にあふれた時代。
もちろん負の部分もあったのだけど、こういうどちらを向いても閉塞感、
景気最悪、子供も産めないから人口減ります、大災害があり、これからもそれが続くかも、
の時代に生きていると、いやでも懐かしさばかりが先に立つ。
第一作ではただもうなつかしくて戻りたいくらい!という感じだったが、
それから6年経って世の中より悪い方に傾いたのだけど、
今回はそれじゃいけないんだな、と思ったことも確か。
宝石のような思い出は思い出。
今生きている時代を否定しても仕方ない。
実際良くなったことだってたくさんあるんだし、
今の時代なりのより大きな夢も希望もたくさんあるはず。
歴史の流れの中には悪い時期もあるのは仕方ないですよね。
昔は良かった、なあんて繰言ばかりの年寄には絶対なりたくないもんね。


ともあれ、あの迫ってくる東京タワーは一見の価値あり
未経験の年配の方も3Dデビュー、してみませんか?


Always64c
3D用眼鏡。次の機会にも使えます♪





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2011年12月31日 (土)

とりぱん12





予約していた「とりぱん12」が楽天から届いた。
寝る前にベッドの中で読むのが定番。
う~ん、落ち着く。癒し系のマンガなのね。

Toripan12


作者は北東北在住のとりのなん子というマンガ家さん。
2005年、雑誌「モーニング」の作品公募で大賞をとったエッセイマンガ「とりぱん」は現在まで同誌で連載が続いている。
とりぱんとは野鳥に与えるパンのことで、庭にやってくる野鳥との交流を、
温かくユーモラスに、時に過激にブラックに描いていてこれがすごく面白い。
癒し系のマンガだからといってほのぼの優しい路線かと思ったら大間違いで、
シニカルな目、時には毒を含んだブラックな思考が、
ごく自然にすべての命を慈しむ心と同居しているのが素晴らしいところ。
登場するのはスズメ、ヒヨドリ、メジロなどのよく見かける鳥から、
アオゲラ、コゲラ、オナガ、コムクドリ、シメ、カワラヒワ、
はたまたキレンジャクやヒレンジャクまで、さすが自然に恵まれた東北というか、
こんなのが庭にきてくれたらいいなあ~とうらやましくなったりする。
さらに池に飛来する白鳥やカモなどの、普通のイメージとは一味ちがったルポがこれまた面白い。


野鳥だけではなく、近所の猫や犬、羊やカモシカ、飼っている金魚などもしばしば登場するので、
時々ねこぱん、魚ぱんなどとも言われるが、
ちょっととりのさん、最近もろに


むしぱんになっていませんか?



いや、私的にはぜんっぜんOKなんですけど。
嫌がる人もいるようだけど、その「自覚無き虫めづる姫君ぶり」が何とも痛快。
カマキリ、クモ、チョウやガからスズメバチ、ダンゴ虫まで、登場する虫も多彩。
野鳥や犬猫、金魚を可愛がるくらいなら、人は温かい目で見てくれるだろうけど、
死にかけのカマキリを保護して餌のハエを獲ってやったり、
アゲハの幼虫のために山椒やパセリを植えて家の中で越冬させたり、
ファーブルよろしく狩人バチの奮戦を1時間半も観察したりするって
やはりドン引く人も多く、「変人」の烙印押される危険大。
しかし作者は全然そんなこと気にしないと思う。
実際にこういう女性ってあまりお目にかかったことがなく、
虫がキライといいながら実はけっこうむしぱん的なところもある私など
写真俳句サイトにしばしば虫登場)
すごく興味をひかれる。

Tripan12bsf_2 



本当言うと、今年は「あの日」以降、
しばらくこのとりぱんに縋って生活していた。
東京を彷徨った3月11日の深夜、TVで津波の映像を見て
「なにこれ、特撮・・?」とつぶやいたあの日、
それに次々と続く原発の大事故のニュース。
あの頃誰でもがそうだっただろうけどしばらくは不安で不安で、とうとうニュースも見られなくなり、
そんな時、とりぱんを読んでいる時だけは心が和み、安らいでいられた。
作者は東北在住のため、心配になって検索したら大きな被害は受けなかったとのことで安心したが・・



後日、11巻に収録された「その日」を読んだ時はしみじみと感動した。
失うもののない日常を生きる野性生物、
対して作り上げたものの崩壊に、あまりにも弱かった人間。
それでもそれぞれの日常を生き、役割をまっとうすることが大切なのだと。
その通りだと思う。
そして震災のずっと前に読んだ第1巻のラスト、
「何でもない日常こそがすべて」という、震災後誰でもが思ったであろうフレーズ
が、実感を持ってよみがえり、繋がっていく・・



いやいや、暗くなるのはよしましょう。
「とりぱんは皆さまに楽しい気分になってもらうためのもの」と作者も書いている。
はい、楽しい気分になってどんなに救われたことか。
そのうちM岡にとりぱんツアーに行きたいな。
とりのさん、今後もとりぱん、個人的にはむしぱんもどうぞよろしく♪

1111kama 雪うさぎのかまさん σ(^^)




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2011年3月26日 (土)

原発制御不能 パエトーンのように2



今回の地震で、色々不思議に思ったことがあるがそのひとつとして。
広範囲に被害をもたらした巨大地震であったが、
その中でも最高震度である震度7に襲われた宮城県栗原市。
以下栗原市のHPから引用。


2011年3月11日(金曜日)午後2時46分ころ、栗原市で震度7を観測
 3月11日(金曜日)午後2時46分ころ、三陸沖を震源地とするマグニチュード9.0の地震、「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」が発生しました。
 この地震による市内各地区の震度は、次のとおりです。
【震度7】 築館地区
【震度6強】 若柳・高清水・一迫・志波姫地区
【震度6弱】 栗駒・瀬峰・金成地区
【震度5強】 鶯沢・花山地区

 地震による被害の概況〔3月25日(金曜日)現在〕
【人的被害】 ●死者:なし ●行方不明者:なし ●重傷者:2人 ●軽傷者:411人
【住家被害】 ●全壊:5棟 ●半壊:15棟 ●一部損壊:132棟 ●床下浸水:3棟
【給水可能地域】
 市内8地区のほとんどで通水し、断水地域の市内16カ所に給水車を配し対応中
【道路交通規制】 〔市道〕全面通行止め:23カ所、片側交互通行:16カ所
【停電中の地域】 なし、市内全域で通電中

引用終わり。



何と震度7を観測した栗原町では死者、行方不明者はゼロ、
家屋の全壊はたった5件だという。
もちろん内陸部なので津波の被害を受けなかったこと、
地盤の関係その他さまざまな要因が重なっているのだろうが、
日本以外で、震度7で全壊5件なんて考えられるだろうか。
そういえば津波に呑みこまれてゆく三陸地方各地の映像でも、当然津波が来るということは地震の後だということだが、
その時点で全壊している家は見た限りでは皆無に近かった。


つまり、地震そのもので全壊、それに伴う死者というのは本当に少なかったということですよね。
まだ正確な統計は当分先だけど、死者の9割が津波によるものとの情報もあり。
これは時間帯にも左右され、殆どの人が眠っていた早朝に起きた阪神大震災の時には家具などによる圧死が多かったようだが・・
今回の津波は時間をおかずに襲ってきたため、逃げる暇も無かったということが被害を大きくした。
まさに想定外。


これを教訓にして、津波に対する備えが出来れば、もっと想定外の地震が来ても充分対応できるはずだ。
思った以上に、わが国の耐震建築技術は素晴らしいのかもしれない。
というより震度7に対応できる技術をすでに備えているということ。
これは本当に心強いではないか。
建設中のスカイツリーも何の被害もなく、完成前にその耐震性の高さをアピールしたのも快挙だった。
地震は仕方ない、わが国の宿命だから。
海岸地方ではさらに津波に対する備えさえ万全にすれば・・
そして火事さえ出さなければ・・・
たとえこれから今回のような巨大地震がおこっても、被害は最小限にとどめられるだろう。



対して。
原発は想定外の津波に対し、あっさりとやられてしまった。
想定していたものの2倍から3倍の津波だったという。
しかし原発の場合、それを想定外でしたで言い抜けることは出来ないはずだ。
今の時点で今回の地震は1000年に一度、とか言われているが、
まがりなりにも日本の歴史が綴られているのは長く見積もってもたかだか2000年。
それ以前にどんな地殻変動があったのかなんて、誰も証明できない。
一万年に一度、3万年に一度の大地震や地殻変動だって必ずあるはずだし、
明日起こっても何の不思議も無い。


それは想像するだに恐ろしい。
誰だって、生きているうちにそんな災害に遭いたくはない。
でもよく言われるように大災害は「神の怒り、天罰」などではない。
そう思って謙虚になるのも悪くはないが、日本人がどんなに信心深くなったって地震は襲ってくる。
客観的に見ればただの地震、ただの地殻変動だが、
それがどれほどの破壊力を持っていることか、今回日本中が改めて思い知った。
そんな日本に、原発を作ることがいかに危険なことか、まったくの素人だってわかるし、今回はからずもそれが証明されてしまった。
ネットを調べれば例えばどこそこの原子炉が爆発した時どういう被害が出るのか、身の毛のよだつような色々なシミュレーションが見つかる。
無論私は何の専門知識も無く、どれが正しいのかはわからないのでリンクは控えますが。
それぞれで判断お願いいたします。



原発を廃止すべきと言えば、
では代替の案はあるのか、とすぐ言われる。
でも現在日本の電力で原発の占める割合は3割だとか。
はっきり言って政府が原発廃止の政策を打ち出し、その方向に転換がなされれば、
3割くらいの不足はあっというまに埋められると思っている。
追い詰められれば、何とか必要なものを短期間に作ってしまうのが日本人の凄いところではないか。
太陽光発電の研究だってかなり進んでいるはずだし、今の時点ではコストがどうのとか言っているけど、
それは原発優先の政策のせいであり、やる気になれば数年でかなりの実用化が期待できるのではないかと思っている。
その間少しくらい停電が続いたって我慢しますよ。
でもこの先、地震が起きるたびにどこの原発が・・・という恐怖を味わうストレスには耐えられない。
今回の原発事故処理が長引くほど、原発の正体見たりという国民の嫌悪感、恐怖心は増すばかりだろう。
これからもし原発を続けるとしたらどれほどの災害想定、それに伴う補強改築の莫大な費用、
それこそコストが合わなくなるのでは?
東電は夏場に電力が足りなくなると盛んに脅かしているが、あれは国民を締め付けて、
やっぱり原発が無いとダメなのね・・・と思わせる陰謀ではないかと思っている人も大勢いるみたい。(私も半分そう思っている)



「日本に原発はいらない」
もちろんこの主張には一切の政治的思惑など入っていません。
考えてみて下さい。
広島と長崎であれほどの悲惨な経験をした世界で唯一の国なのに、
今度は原発事故で国民の半分が死んでしまいました・・
なんてことになったら悲劇を通り越してもはや喜劇だ。
私たちは愚かなパエトーンになってはならない。
今からでも遅くない。
というよりあの事故を同じようにリアルタイムで見ている他の国も、
震え上がって自国の原発対策に乗り出した。
今が潮流を大きく変えるチャンスかもしれない。


「地震はけっこうあるんですけどね・・
でも建物は耐震構造で磐石だし、津波対策も万全だし、
何より今は原発ひとつもありませんから安全ですよ」
外国人に胸をはってそういえる国になったら素晴らしいではないか。

どうか今回の恐ろしい事故が一時でも早く収束し、
禍転じて福となる、の例え通り、これをきっかけに安全でクリーンなエネルギーに方向転換できますように・・・
と切に祈るばかりです。


※追記※

山岸涼子「パエトーン」
この事態に対応し、3/23からWEB公開されていることを今知りました。
山岸さんとしては20数年たって実現してしまった悪夢に、
ぜひ原発の真実を多くの人に知って欲しかったのだと思います。
こちらから読めますので、ぜひご一読下さい。
http://www.usio.co.jp/html/paetone/index.html


Paeton3_2   





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2011年3月22日 (火)

原発制御不能 パエトーンのように・・・



いわゆる”キューバ危機”があったのは1962年、
私が小学生の頃だった。
当時は冷戦時代、ソ連とアメリカがキューバを挟んで睨みあい、
核戦争寸前になった悪夢のような2週間。

TVは連日緊迫したニュースを流し続け、
巷では戦争になったら日本も巻き込まれ、水素爆弾で全滅する、と言われていた。
私は恐ろしさのあまり、ニュース恐怖症になってしまった。
でも親にはそう言えず、ちょうど夕食時にかかるニュースの時は何かと理由をつけて席を外したりしたものだ。

それから何十年も経ってまたもや同じような経験をするとは。
はい、原発のニュース怖くて見られないヘタレ状態です。
小学生から全然進歩してないのかよ!と自分でも呆れるのだが、出来れば終息のニュースが流れるまで布団でもかぶっていたいというのが本音。

Paetonbook
山岸涼子の「パエトーン」
初出は不明だが、手元の単行本発行は昭和63年とある。
今から20年以上前の作品だ。



ギリシャ神話「パエトーン」はご存知の方も多いだろうがこんなお話。


母から自分が太陽神アポロン(ヘリオスとも)の息子であると聞かされた少年パエトーンは
それを証明してもらおうと険しい山を越え、アポロンに会いに行く。
アポロンは確かに彼が息子であると認め、何でも望みを叶えてやろうと約束する。
パエトーンは父の「太陽の馬車」を1日貸してほしいと申し出る。
太陽の馬車は大神ゼウスでさえ扱うことの出来ない、唯一アポロンだけが操縦できる馬車。
アポロンは必死になって願い事を変えるように説得するが、
パエトーンは約束を盾にゆずらない。
とうとう太陽の馬車が引き出され、その素晴らしさに心躍らせるパエトーン。
しかし走り出した馬車はたちまち暴走を始め、軌道を外れて狂ったように駆け回った。
パエトーンは馬を御すことも出来ずにすくみあがり、手綱さえ放してしまう。
狂った馬車は地上の山や森を焼き払い、海は干上がって砂漠と化し、多くの人々が焼け死んでゆく。
大神ゼウスはその様子を見て憂い、世界を救うためにパエトーンめがけ稲妻を投げつけた。
太陽の馬車はこなごなに飛び散って消え、パエトーンは火に包まれて流れ星のように地上に落ちていった・・・・



山岸涼子はこのパエトーンを現代、危険な原子力発電に頼って文明を謳歌する人間にあてはめた。
チェルノブイリ事故の恐るべき実態、当時の日本の原発の実情などがわかりやすく描かれている。
当時から20年も経っているので、日本の原発の数はもっと増えているだろう。
そして恐れていた事故が起こってしまった。
天災が原因とはいえ、日本の存亡を危うくする大事故だ。
色々な情報が錯綜しているが、素人の私には何が正しいのかはっきりわからない。
ただわかるのは
、「原子力発電はパエトーンと同じ驕った愚かな行為」というのが真実だったということだ。
政府は何重にも安全対策をほどこして管理しているから安全、と言い続けてきた。
私たちも、いややっぱり危険はあるでしょうと思いながら、
豊富な電力の消費を謳歌するために見て見ぬふりをしてきたと言えないだろうか?


考えてもみてほしい。
あの事故の経過を見ればわかるとおり、
はい、地震で自動的に運転が止りました、ですむならめでたしめでたしだ。
石油ストーブなどではそれで解決する。
たとえ火がでても、水をかければちゃんと消える。
ところが運転を停止したあとでも、管理が出来ないと核燃料、
使用済み核燃料まで暴走をはじめるというのが原発の事実だった。
(そんなことは私も全く知らなかった、停止すればそれでOKかと思っていた)
あれだけの人数を投入して命がけの作業を続けても、いまだに解決にいたらない。
高度の放射能が漏れ出したら、もう現場で人間が作業することも出来なくなり、
放棄して逃げ出さざるを得ない実態になったら・・・・
いったいどうなるというのだろうか。

Paeton3

つまり人間は、原子力を完全に管理など出来ないということでしょう?
まさに制御不能、身の程知らずで愚かなパエトーンと同じだ。
今回の事故で多くの人がそう思い、その恐ろしさが骨身に沁みたと思う。
今回は自動停止装置が働いたからまだ良かったのか・・・
しかし停止装置そのものが作動しないという事故だって充分にありうる。
私も何年か前から感じていたのだが、日本列島は地震の活動期に入ったことは間違いないようだ。
想像したくはないが、東海地震も近いのかもしれない。
その時浜岡原発がどうなるのか、地元の人が心配するのは当然だ。


いや、浜岡だけの問題ではない。
日本中いたるところにある原発がもしチェルノブリ級の事故をおこしたら、
国中が数日中に放射能汚染されてしまうそうだ。
そう、全長だって3000キロ程度の国土なのだから・・・




日本は国土狭いんです。
原発の周囲にも人がたくさん住んでいる。
加えて世界一の地震国です。
しかもしかもその地震の活動期に入っているとしたら、
大きな地震が今後もどこにくるかわからない、
その時原発が事故を起こすかもしれない。
そう思い続ける恐怖、ストレスに耐えられますか?
原発はそのリスクを補ってなお余りあるものですか?



(続く)








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2010年9月16日 (木)

男性作家による少女マンガの時代




ふと気がついたら今日はこのブログの何と5周年記念の日でありました。
2005年からもう5年間もぽつぽつとだけど更新して続いているわけで。
まあ5年で10万アクセスにも届かないマイナーなブログではありますが coldsweats01
とりとめのない記事を読みに来て下さった方々、誠にありがとうございました。
いつまで続くかはわかりませんがこれからも細々とやっていくつもりですので、
どうぞ宜しくお願いいたします。

Ojigi2

ということで男性作家による少女マンガのことを少し。
今では優れた女性マンガ家が星の数ほどいてすでに一時代を築いているが
昭和30年代といったら数えるほどしかいなかった。
思い出すのは「フイチンさん」の上田とし子、「マキの口笛」の牧美也子
、「チャコちゃんの日記」の今村洋子、貸本時代から現在まで活躍中のわたなべまさこ、それに水野英子くらいだろうか。


その頃、まだ月刊誌だった少女雑誌には、今では大御所というか巨匠とい
える男性作家の人たちが少女マンガに活躍していた。
「リボンの騎士」に代表される手塚治虫をはじめ、
松本零士、ちばてつや、石森章太郎、藤子不二男、昨日書いた赤塚不二夫、つのだじろう、
高橋真琴、あすなひろしetc.・・・・

Ribon


少女マンガにおける男性作家のマンガの面白さといえば、
いわゆるお姫様願望ストーリーやお涙頂戴ものもあってそれはそれで魅力があったのだが、
やはりちばてつやに代表されるしっかりとした骨太のストーリー、
石森章太郎や松本零士が得意とした、SFやミステリーなどを取り入れたスケールの大きさにあったのではなかろうか。
ちばてつやを最初に見たのは少女クラブ時代の「ママのバイオリン」
それ以降「リナ」、「123と45ロク」、週間少女フレンドに変わってからも、「ユキの太陽」「島っ子」など傑作の連載が長く続いた。
主人公はおてんばだけど心優しく、今から見ると信じられないくらい自分をしっかり持った女の子。
苛酷な運命に負けず、地に足をつけて強く生きていくことの大切さを、この少女たちから学んだような気がする。

Tetuya1_2 Tetuya2_2



一方短編が輝いていた石森章太郎の作品はファンタジーワールド。
多分外国のSFをベースにした作品が多かったと思われるが、ホラーの要素もあって小学生だった私にとっては衝撃的で怖ろしくもあり、
何日も何ヶ月も心に突き刺さったままそれが疼く・・というような重い内容だった。
SFではタイトルを忘れてしまった印象深い作品がたくさんあるが、持っているのはヴァンパイアを描いた「きりとばらとほしと」。
他には「夜は千の目を持っている」「江美子ストーリー」なども忘れ難い。
面白いというよりはいつまでも哀しい思いが胸に残る名作。
今でもお姫さまイラストで活躍しているのは高橋真琴、愛らしい動物ものの松本零士(当時は松本あきら)
すでに故人となったあすなひろしも叙情にあふれた少女マンガを多く描いているが、殆どが復刻されることが無いのが惜しまれる。

Isimori1 Isimori2 Isimori3 Isimori4



以前某誌で松本零士のインタビューを読んだのだが、それによると当時の少年誌はなかなか新人に門戸を開いてくれず、
少女雑誌のほうが新人発掘に熱心だったため、本意不本意にかかわらず皆少女マンガを描いていたとのこと。
「女性のことは何もわからず」描いていたそうだが、それだからかえって良かった面もあるのかも。
そのうち女性作家が増えてくると男性は殆ど少年誌に移行したそうだが、男性作家が少女マンガの枠を大きく広げ、
その後の発展につなげてくれた功績は限りなく大きいと思う。

Reiji Reiji2



ところで。
これを書くために色々検索の途中でスゴイものを発見!

Tokiwa

先月発売になったばかり!


きゃ~!いずみあすか(石森・赤塚合作のペンネーム)
U.マイア(石森、赤塚、水野英子合作)の作品もある!


ま、まぼろしの作品群ではありませんか!
このタイミングに何という偶然・・これこそ今見たいマンガそのものだわ・・・


ということで早速注文。
読んだらそのうちまた紹介しますね  wink




Pes



こちらもラジオドラマにまでなったヒット作。
当時のスピッツブームの火付け役になったとも言われる、山田えいじの「ペスよおをふれ」

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2010年9月15日 (水)

赤塚不二夫 「おハナちゃん」



今朝PCを立ち上げたらあらら、Googleのロゴがバカボンに。
何事?と思って調べたら14日は故・赤塚不二夫の誕生日で、生誕75周年と
のこと。
75周年と言われても・・・と苦笑したが、75年ならまだ生きていてもちっ
とも不思議ではないのに、その意味では残念ですよね。(2008年没)

Bakabon


赤塚不二夫といえば私などが真っ先に思い出すのはバカボンではなく、も
っと以前に描かれた「おそ松くん」
昭和30年代少年サンデーに連載中、リアルタイムで読んでいたから。
一世を風靡した「シェー」のイヤミ氏やおでんを持ったチビ太、
ハタ坊、デカパン、トト子ちゃんなど、ほんとに馴染みの深いキャラだっ
た。
おそ松くんを読んで育った世代は学生運動の嵐吹き荒れる時代になっても
親しみを忘れず、あちこちでニャロメの落書きとかが見られたものだ。
ごく初期をのぞいておそ松くん(と六つ子の兄弟)より、まわりのキャラ
に重点が移っていったんだよね。



ところで赤塚不二夫の少女マンガといえばメジャーなのは「ひみつのアッ
コちゃん」だろうか。私は「りぼん」を読まなかったので殆ど知らなかったが、そのほかにも少女マンガは意外とたくさん描かれている。
中でも大好きだったのが、少女クラブに連載されていた「おハナちゃん」
これは1960年からなので、「ひみつのアッコちゃん」より古い。

Akatuka1


私が読み始めてしばらくして少女クラブは廃刊となり、「おハナちゃん」
も水野英子の「星のたてごと」もちばてつやの名作「123と45ロク」も、はい、廃刊なのでこれにて打ち切り~という感じで唐突に終わってしまい、寂しい思いをした。
赤塚はこのあたりから(少年誌では「ナマちゃん」など)ギャグマンガ家
としての地位を確立していったみたいだ。



おハナちゃんはともかく可愛い。
素直でおちゃめで子供らしく、さらに言うなら女の子らしい。
お母さんと二人暮しなのか、殆どお父さんが出てこないのが疑問だったが
・・(殆どというのは、確か一度だけでてきた覚えがあるので)
いったいどういう設定だったのだろう?

Akatukaohana Akatukaohana2

上、禁止用語には目をつぶってね m(_ _)m


少女クラブ廃刊から子供雑誌も週刊誌の時代となり、その後も赤塚は短期
連載の少女マンガ、「あらマアちゃん」「ジャジャ子ちゃん」「ヒッピーちゃん」「へんな子ちゃん」「おカズちゃん」など数多く描いている。
でも時代とともにキャラクターもガラリと変わり、タイトルからもわかる
ようにギャグにはかなりの毒が加わり、二度とおハナちゃんのような愛らしい女の子が描かれることは無かった。

Akatukajyajya Akatukahippy

まあ可愛い女の子が主人公のマンガなど、ほんとは描きたくなかったのかもしれないけど・・
彼に限らず、マンガ家さんはデビュー当時は雑誌社の意向通り描かなきゃ
ならなかったのでしょうね~。
それにしても昔は女性のマンガ家が少なかったせいか、
多くの男性作家が当たり前に少女マンガを描いておりました。
ついでなのでちょっと触れたいけど、
長くなるのでまたこの次に。

Akatukaaoime

「青い目の由紀」、これSFなんですよ♪







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2010年8月29日 (日)

COM1967年 夏


先日思わず書いた駄句が

エアコンの牢獄にゐる酷暑かな


という状態がずっと続いて連日36度、37度、
灼熱地獄の中に出かけるのも恐ろしく、
はい、今日もマイナーなマンガネタで更新です。
すいません、興味のない人には全然面白くありませんので、
スルーして下さいませ。m(_ _)m



最近手に入れた古いCOM、
何と43年前の1967年8月号。
当時私は・・・あまり言いたくない(笑)
COMはバックナンバーを創刊から何年か全部買って持っていたのだが、
弟に持っていかれてしまい、
偶然特別に好きだった号を見つけて入手したというわけ。
もちろん古びてはいるけど、43年前にしてはけっこう状態も良い。
(思うのだけど紙という保存手段はやはり素晴らしいものだと。
データみたいにいきなり消えちゃうなんてことないし、
少なくとも千年も保っているものがあるんですものね。)

Com8gatu_2 


何故この号が好きかというと、新人マンガ家による「夏」をテーマにした競作特集があるから。
宮谷一彦、白石晶子、青柳祐介、岡田史子、
小山田つとむ、はせがわほうせい。

このうち、もっともメジャーになったのははせがわほうせい(現・長谷川法世)と青柳祐介だろうか。
この号にぐら・こんで入選した「正午に教会で」は長谷川のデビュー作となり、のちに「漫画アクション」に連載した「博多っ子純情」が小学館漫画賞を受賞している。
青柳祐介も「土佐の一本釣り」でやはり同じ賞を受け、この作品は映画化もされたが、2001年に死亡。
土佐の浜には彼の石像が建っているそうだ。
白石晶子は少女コミックなどに描いていたようだが、あまり記憶に無い。
小山田つとむは永井豪原作の「ドロロンえん魔くん」など少年誌にも多数発表、その後絵本の挿絵なども描いていたようだ。



けれどなんといっても強烈な印象だったのは宮谷一彦と岡田史子。
宮谷はこの年「ねむりにつくとき」でCOM新人賞。
ともかく絵がうまくてその緻密な作風の描写はすばらしく、泥くささとは無縁の強烈な個性、都会的なスマートさで独特の世界を創り出した。
その後商業誌に反体制的な過激ともいえる作品を次々発表、学生運動の嵐の吹き荒れる世相の中、一時ヒーロー的扱いを受けていた。
私などはそのあまりに露骨な過激さについていけず、その頃にはもう彼の作品を追うことはやめてしまったが・・。

でもCOMに発表された作品は皆好きだった。
この「夏」特集の「日は沈むことなく」をはじめとして「若者のすべて」シリーズになる「街には雨が・・・」「セブンティーン」「ライクアローリングストーン」などなど。
以前は単行本が出ていたと思ったけど、今はさがしても皆無。
この初期の作品、復刻してくれないものか。
当時ご本人自身スキャンダラスな話題に事欠かない、長身で俳優にしたいほどのイイ男だったけど、今はどうしているのだろうか・・。

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そして岡田史子。
あの大マンガ家、萩尾望都が「天才」とあがめた「幻のマンガ家」と言えるだろう。
私から見れば岡田史子は特別に美しい一滴の露、萩尾望都はその一滴から悠々たる大河を紡ぎ出した人と思えるのだが、
その作品群の起爆剤になったとしたら、やはり岡田史子はすごい人なのかもしれない。
確かにイメージという意味では、(いきなり思いっきり個人的な例えでスミマセンが)萩尾望都の作品から俳句のインスピレーションは受けないが、岡田史子の作品からは受けることがある。
ずっと以前に出た単行本を今でも時々読み返し、そのたびに新鮮な思いにとらわれる。永遠に理解できないからこそ、イメージは枯れることは無いのかも。

COM1967年2月号「太陽と骸骨のような少年」でデビュー。
翌年「ガラス玉」でCOM新人賞を受けている。
その後、「ピグマリオン」「サンルームのひるさがり」「赤い蔓草」など珠玉のような作品を次々発表したが、メジャーな雑誌で描く気はなかったようだ。
カフカなどの影響、ムンクに思い入れがあることなどがわかるが、絵柄も毎回違うし、マンガというより詩のようでもあり・・。
彼女が描いていたのは10年にも満たないはず。
早々と筆を折り、すでに2005年に亡くなっているが、今でも熱烈なファンは大勢いることだろうし、決して忘れられることはないだろう。




そんな、今から思えば貴重な執筆陣の描いた1967年の夏・・
自分にとってのそれは昔すぎて思い出すことも出来ないが、
ただ当時の気分だけは鮮やかに蘇ってくるようだ。



ちなみにこの号では他に、
手塚治虫の「火の鳥・黎明編」、「ハトよ天まで」
永島慎二の「青春残酷物語、フーテン」
石森章太郎のファンタジーワールド「ジュン」
のちにハードボイルドな劇画で活躍する佐藤まさあきの「猫」など、
読み応えのある作品が揃っている。



う~ん、学校帰りに買って三島駅のホームで電車が行っちゃったのにも気づかず、読み耽っていたのはこの号だったかもしれない・・・。coldsweats01

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この号の裏表紙。
フジテレビって「母と子のフジテレビ」だったのね~smile













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2010年8月20日 (金)

山岸涼子/ 水の中の空



先日「アルゴー・ノート」に書いた、
山岸涼子のデビュー前の「水の中の空」
該当の「COM」を入手したのでちょっとご紹介。
1968年2月号のぐら・こん(まんが予備校)の児童まんがコース佳作ですね。
絵は可愛らしいけど、内容はのちの作品、例えば「遠い賛美歌」などを彷彿とさせる感じ。(クリックでもうちょっと大きくなります)

Mizunonaka_4   

紹介されているのはこれだけなので、15ページ全部読んでみたかった。
(入選ならば全部掲載されたはず・・惜しかったですね))
ちなみにこの2年後の1970年「りぼん」別冊に発表された同名の作品は内容がまったく別で、いわゆる「母もの」
花とゆめコミックスの「白い部屋のふたり」に収録されているのを持っているが、これももちろん絶版で他には見当たらず、こちらもけっこうレアかも。

Mizunonaka2


マンガの単行本は特に、そのうち買おうと思っているうちに絶版になっちゃうことが多い。
ずっと持っているつもりならすぐ買うべし。
まあこれからは電子書籍の時代になるらしいから、すべてデータ化され、
絶版という概念も変わるのかもしれないけど。

新聞と本だけは、液晶画面では絶対読みたくない古い人間でゴザイマス。




しばらくマンガの話が続くかも、です。coldsweats01







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2010年8月13日 (金)

山岸涼子 アルゴー・ノート



欲しかった本をやっと手に入れた。
あすかコミックススペシャルの山岸涼子全集25
探してたんですコレ・・・・
ミシェル・デュトワシリーズの第3話まで収録された本はとっくに持っていたのだけど、未読の完結編「アルゴー・ノート」があることが判明。
なんとそれはこの本にしか入ってないというのだ。
(山岸涼子の作品は文庫も含め、あちこちの出版社から重複して出ている)
そうなると何が何でも読みたくなるじゃありませんか。
しかしあすかコミックスはとっくに絶版。
ならばと中古をさがしたが、Amazonに出ていたのがなななんと38,000円の値がついていてぶっとんだ。
幻の作品と言われているらしいけど、38,000円はないでしょう。annoy
まあそれは売れたんだか引っ込めたんだか知らないけど、今も4200円の値がついている。
book offだとこの本待ちの人が20人以上。
う~ん、こりゃダメかなあと思っていたのだけど。



結論を言うと急転直下、yahooオークションで送料込み1000円ほどで落札できました。
何気なくチェックしたらちょうどあって、即落札、ラッキー♪
良心的な価格で出品して下さったAさん、ありがとうございました。m(_ _)m

Mishel

「アルゴー・ノート」
完結とはいえ、解釈は各自でご自由に、というのが余韻を残す。
読んでしまえばどうってことないのだけど、
やはり気がすんだ、という感じ。
ミシェル・デュトワシリーズの第一話、「ゲッシング・ゲーム」に出会ったのが1972年。
それ以前とがらりと変わった線の細い退廃的な絵に衝撃を受けた。
以来その繊細な絵に魅せられ、人間の底知れぬ内面をえぐるような一連の作品に魅せられていくことに。


「アラベスク」に代表されるバレエ漫画のことはひとまず置いておいて。
実は私はデビュー前の山岸涼子の作品をチラリと見たことがある。
1968年当時、虫プロの出していた雑誌COM
ガロのライバル誌ともいわれ、やはり新人の発掘に力を入れていて、
毎月募集した作品を採点する「漫画予備校」というのをやっていた。
実際、ここから巣立っていった漫画家は多い。
その中で入選だったか佳作だったか、「水の中の空」という作品が紹介されていたのが妙に印象に残っていた。
何年か経ってから漫画家山岸涼子を知り、ああ、あの時の・・と感慨深かったものだ。
「アラベスク」のブレイクから、いわゆる「花の24年組」の一人として活躍が始まり、30年以上経った現在でも第一線で活躍中なのはご存知の通り。

Umayado_2 



連載に夢中になったのは80年代に「LaLa」に掲載された「日出処の天子」。聖徳太子を描いた長編だ。
思いっきり作者の屈折した?好みの入ったとんでもないフィクションなんだけど、面白くて面白くて毎月待ち遠しかった。
この頃から単行本は殆ど買っているけれど、おしなべて彼女の作品は色々な意味で怖い。
オカルト的な意味で怖い、という作品もあるのだが、そんな単純なものではなく、人間の奥底の闇に潜むどろどろとしたものを、腸を抉りだすような冷徹さで抉り出す、そんな底知れぬ恐ろしさがある。
読んでいて暗澹としちゃうことも多いのだが、多分それらは真実であるのだろう、目をそらすことが出来なくなってしまうのだ。
あ、明るい作品もありますよ。
ともかく山岸ワールドに踏み込んだら迷路に踏み込んだ如く、
出てこられなくなってしまうのよね、なんてことを私も30年以上やっているわけで。


夏といえば怪談、ということで、
では最後に山岸涼子の極めつけ怖い作品をご紹介しておきましょう。
「汐の声」と「わたしの人形は良い人形」
これはオカルトの分野だけど、ほんとに怖いです。
超弩級の怖さです。
私は読みながら金縛りになるところでした。
読む方は覚悟してど~ぞ smile

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2010年7月16日 (金)

ゲゲゲの女房、快調♪


後半に入ったNHKの朝ドラが久しぶりにヒットのようです。
「ゲゲゲの女房」
「ゲゲゲの鬼太郎」で広く知られる漫画家、水木しげるの漫画家人生を妻
の布枝さんの目から描いたもの。
極貧の貸本漫画作家から成功していく一種のサクセスストーリーでもある
のでしょうが、昭和20年代からの懐かしい雰囲気もあいまって、巾広い年代に好意を持って観られているようです。

Kitaro3


何しろ最近の過去ドラマ、「ウェルかめ」にしても「だんだん」にしても
「瞳」にしても、まあ評判の悪かったこと。
もうここまで言うかと思うほどボロクソのレビューをたくさん目にしまし
た。
どれも確かに、とうてい共感できない「甘さ」が視聴者の怒りをかったの
かも。
その点「ゲゲゲ・・」は貧しさの中でつましく明るく、地道に努力という
現実ではもはやあまり聞かず、評価もされないような状況が何かをくすぐる。
「私たちは豊かさとひきかえに大切なものを失った」というすでに手垢の
ついたようなフレーズ、やはりこれはダテではなく、根強く人の心に存在しているのかもしれません。
「赤貧洗うが如し」という諺があるけれど、それって確かに悲惨なんだけ
ど、
今となってはいっそスッキリ、という気分も無いとはいえないのかも



携帯やパソコンを所持し、30年前の人間が見たら「SFの実現!」と目を輝
かせるであろう状況でも、職もなく未来への展望もない若者たちが多くいる・・って何なんでしょうね。
貧しくても希望がある、というのは人にとって最もやる気の出る状態なの
かもしれず、そのあたりが共感を呼んだのでしょうか。
成功するのがわかっているから安心して観ていられるし。


ところで私が水木しげるの漫画に最初に出会ったのは床屋さん。
昔の床屋さん、待ってる人のためにたくさん漫画が置いてありました。(
今もかな?)
その中の雑誌だったか単行本だったか覚えてないのですが、
今まで見たこともない気味の悪い異世界に、強いショックを受けました。
多分あんな恐ろしい・・・ともかくその「世界」が恐ろしい、漫画は初め
てだったと思います。
だから今でも好きではないのですが、あの独特の雰囲気、そして何十年も
当たり前のように続く存在感に、自然に馴染んでしまったのかもしれません。
そういえば息子が小さかった頃、鬼太郎のアニメを喜んで観ていましたっ
け。

Kitaro2_2
何年か前に行った境港の水木しげるロードで鬼太郎と。



劇中に出てくる「ゼタ」という雑誌は「ガロ」がモデル。
私が「ガロ」に夢中になるのは1960年代の後半、つげ義春や佐々木マキ、
林静一、つりたくにこなどが出てきた頃からですが、以後も(何故かドラマにはでてこない)看板作家の白土三平を始め、水木しげる、永島慎二などは何年にも渡りガロを支えていくことになります。
週間の少年誌、サンデーとマガジンの部数争いも熾烈を極め、1970年の少
年マガジンなどはほんとにユニークな構成でした。
漫画にとって面白い時代だったですね。


このドラマ、ユニークなゲストも多いけれど、
しげるの父役に風間杜夫、母に竹下景子、
貸本屋の女主人に松坂慶子というのがなんとも感慨深いです。
「お嫁さんにしたい女優ナンバーワン」だった竹下景子がもうこんな年代なの
ね・・。
あ、皆過去を引きずらない気持ちの良い演技で楽しく観ていますが。


風間杜夫&松坂慶子といえば思い出すのは映画「蒲田行進曲」
先日亡くなったつかこうへいさんの原作、脚本に、やはり今は亡き深作欣ニ
監督がメガホンをとった快作。
実はつかさんの訃報を聞き、観なおしてみたくなって先日DVDを観ました。
涙なくしては観られない「階段落ち」の名シーン、
これはパロディとしても多く使われ、ドリフターズも大がかりなコントに
取り入れていました。
平田満、文字通り生涯最高の演技でしたね。

Kamata_3


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