9月26日 台風特異日
今日9月26日は「台風の特異日」だそうだ。
ずっと以前のことだが、甚大な被害をもたらした大型台風が9月26日に集中したことからきている。
昭和29年の洞爺丸台風、33年の狩野川台風、翌34年の伊勢湾台風、
みな9月26日にそれぞれの地方を襲い、多くの死者を出した。
当時三島に住んでいた私は狩野川台風のことは覚えている。
家のすぐ裏が川で、普段は穏やかな川がみるみる水かさを増し、あふれるのではないかと怖かった。
幸い何事もなかったが、夜になって停電し、ろうそくの明かりでご飯を食べたことが印象に残っている。
それくらいなら子供にとってはむしろ楽しい非日常体験だったが、その夜すぐ近くの伊豆半島で狩野川が決壊、多くの土砂くずれが発生し、暗闇の中で1000人もの人が土砂に埋まり、濁流に飲み込まれて命を落としていたのだとは知るよしもなかった。
翌日から通っていた小学校の校庭はヘリポートと化し、
毎日ヘリコプターが砂埃を巻き上げて発着を繰り返した。
橋が破壊され、道路や鉄道が寸断されたために救援物資を届けていたのだと思う。
翌年の伊勢湾台風の時もだが、父の勤めていた製菓会社で、被災地に送る乾パンを袋詰めする作業を、友だちと手伝ったりしたものだ。
今あらためて色々検索してみると、当時の惨状に胸が痛む。
ちょうど秋の収穫の時期でもあるだけに、農家の被害も壊滅的だっただろう。
翌年の伊勢湾台風では高波のため、5000人が死亡。
台風でこれだけの犠牲者が出るなんて今では考えられない。
今のように防災体制も整っておらず、情報も伝わりにくかったのだろうけど、
台風ひとつで阪神大震災と同規模の犠牲が出たのだから・・・。
現在では気象の変化なのか、昔より9月の大型台風は少なくなったようだ。
とはいえ温暖化の影響かゲリラ的な集中豪雨は増えているし、今後もどんな気象の変化があるかわからない。雨に関しては昔にはなかった都市型の災害も増えていて不気味だ。
よくTVで台風や豪雨の被害にあった人が「○十年生きていて、こんな雨は初めてだ」と言っているのを聞くが、その今まで経験したことのなかった災害はいつどこに襲ってくるかわからないわけだ。
幸い今では詳しい情報をタイムリーに受けることができるので、決して侮らず、用心するにこしたことはないと思っている。
ところで昭和29年の台風15号による洞爺丸事故は、よく小説などにも登場する。
青函連絡船洞爺丸は函館を出港後、強風と高波により函館沖で座礁、沈没。
犠牲者は1200人にものぼった。
直前に一時風も収まったので遅れて出航したそうだが、これまた今の気象予報だったら絶対に出航は無かったことだろう。
水上勉の「飢餓海峡」では洞爺丸の犠牲者が殺人のカムフラージュに使われるという設定だった。
もうひとつ忘れられないのは、三浦綾子の「氷点」
主人公がこの事故に遭い、からくも助かるのだが、その時救命具を他人に譲った宣教師のことを生涯心に刻む。(この宣教師のエピソードは実話をもとにしているようだ)
最近、ずっと以前に亡くなった父の随筆を読んだのだが、その冒頭にもこの洞爺丸が出てくる。
「昭和30年3月20日、青函連絡船慶福丸は昼過ぎに函館港を出た。
七重浜の沖には未だに昨年の九月の台風で沈んだ洞爺丸が無残な残骸を見せてゐる。初めて見る船客も多いらしく、かなりの人数が後部甲板よりそれを眺めている。
勿論私も写真では何回も見て居るのだが、実物を見るのは今日が初めてである・・・」
父上、無断転載ご容赦![]()
これは単身北海道に渡った父が四人家族となって横浜に帰る時の描写。
だからこの時、当然幼い私も父のそばにいたはず。
もちろん覚えてはいないのだが、転覆した洞爺丸の姿を、私も見たのかもしれない。
何故か洞爺丸沈没のことを印象深く感じるのは、
その頭の奥の、遠い記憶のせいなのかもしれない。
狩野川忌縋る父母在りし頃 雪うさぎ
楽しい猫おどりの行われたこの狩野川河川敷も、
当時はひどい惨状だったのでしょうね。














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