2012年5月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

当地のお天気

旅に出る♪

無料ブログはココログ

« 2007年12月 | トップページ | 2008年2月 »

2008年1月

2008年1月31日 (木)

硫黄島二部作



二度と観たくない映画というのがある
といってもつまらないというわけではなく むしろ素晴らしい映画なのだが
何度も観るのは辛過ぎる 一度でたくさん というもの
例えば今月WOWOWで放映されたクリント・イーストウッド監督の「硫黄島二部作」
観る前から気が重い
パスしようかなあと思いつつ やはり観るべきだと思いなおす
映画というのは「娯楽」ではないのか??と考えてしまうのもこんな時
戦争映画を観る時にはいつもそんな風に気が重く
観終わると当然ながらより重くなっている
「戦場のピアニスト」しかり「プライベート・ライアン」しかり
もっと古くはカンボジア内戦を描いた「キリング・フィールド」なども・・


内戦といえば南アフリカで起きた民族紛争を描いた「ホテル・ルワンダ」の評価も高いが
虐殺の凄まじさをニュースや本などで垣間見ているので 
申し訳ないけどとても観る勇気が無い


もっともずっと以前は「戦争映画イコール娯楽アクション」という時代もあった
「大脱走」なども史実を元にしているとはいえ 分類としてはそちらに入るのではないだろうか
実際の戦争(第二次世界大戦)からまだそれほど年月がたっていない時代のほうが娯楽アクションというのも不思議な気がするが
戦勝国であるアメリカにしてみればそういうハッピーな気分の時代だったのか
ヴェトナム戦争が失敗に終わり 失意の時代に入ると戦争映画も変化し出した
それはカウボーイが善 インディアンが悪という西部劇の終焉と時を同じくしていたと記憶している
人種差別も含む人権意識が世界中で変化したこともあり 以後善(味方)VS悪(敵)という単純な図式の戦争映画は影をひそめることになる


で 硫黄島二部作
かなり耐えて観たけれど


もちろんやはり二度と観たくはないです


けれど真摯にして素晴らしい映画だったとは言いたい
何よりクリント・イーストウッド監督の公正な視線には正直言って驚かされた
何だかんだいっても今までは日本に対する偏見や誤解がどうしてもちらつく映画が多かったので 今回もその意味でも気が重かったのだが
良い意味で裏切られた感じだ
「硫黄島からの手紙」は最後まで生き残る西郷一等兵(二宮和也)にちょっと違和感があったものの 
考えてみればこれが日本映画でなくアメリカ映画であるとは信じがたいほど 
日本人を正確に描いていた
渡辺謙 伊原剛志 加瀬亮 そして中村獅童の凄まじいばかりの熱演が素晴らしく やはりこれがいつものハリウッドように中国系などの俳優を使っていたらこうはいかなかっただろう

もうひとつの「父親たちの星条旗」は 壮絶な戦闘の末硫黄島を占領したしるしの星条旗を立てるあまりにも有名な写真
たまたまその被写体となった兵隊たちのその後の人生を描いている
そのために英雄に祭り上げられて翻弄され  国家の資金集めに利用される彼ら
しかし真実は英雄云々などとはほど遠いものだったのだ


「英雄とは人間が必要にかられて作るものだ そうでもしないと命を犠牲にする行為は理解し難いからだ」というフレーズは静かに戦争の狂気をえぐり出す


1945年2月から3月の硫黄島の激戦で
日本軍 守備隊約2万1千名のうち96%が戦死
アメリカ軍 海兵隊7万のうち戦死者約7千名 戦傷者2万1千名


調べるまでもなく 日本人であろうとアメリカ人であろうと
家族を愛し 故郷を愛し 国を愛し 平和に暮していきたいと思うことは同じなはずだ
戦後60年もたってようやくそれがわかったのかとも言いたいが
それがこれらの映画の中から まだまだ対立の多い実際の世界に浸透してゆくことを心から願いたい



余談だが戦後50年目であった平成7年
硫黄島で50周年の慰霊行事が行われ 横綱の土俵入りが奉納されたのをご存知だろうか
日米両軍の元兵士や自決した栗林指揮官の未亡人の見守る中 当時の横綱であったアメリカ出身の曙と 貴乃花が土俵入りを奉納したそうだ


「あゝ・・母なる大地アメリカと
瑞穂豊かな日本が
過ぐる第二の大戦で
太平洋上この孤島
守るも攻むるも国のため 
将兵三万華と散る・・・」

というのがその時の硫黄島相撲甚句だそうで

まだ硫黄島に眠る幾万の兵士の霊が 少しでも慰められるよう祈るばかりだ




それにしてもこういう場合はまったく

「映画は娯楽」どころじゃないですよね・・・・

Iou1_2 Iou2 

2008年1月30日 (水)

素敵♪ ジェーン・バーキン



先日の夜 家人の毎晩恒例のザッピングの手がふと止まった
(・・ったく 目が回るからやめてほしいんですけどね ザッピング)
「素敵な人だなあ」とのたまう
ほ~どんなのよ と見たら なんとジェーン・バーキンではないか
SMAP×SMAPのゲストとして出演している様子
彼女を見たのは何年ぶりだろう
映画「美しき諍い女」以来かな・・
TVに映っている彼女はすっかり歳をとっていたが 化粧っ気のない顔をクシャクシャにして笑い 出されたお料理を豪快に食べ 天然としか思えないジョークを飛ばす様子は何とも可愛らしく チャーミング
うんうん 確かに素敵だよねえ・・
それにしてもあのジェーン・バーキンがねえ・・
「お見事!」と喝采したくなるような歳のとり方だ♪

Jb3 Jb2

















ジェーン・バーキン
1946年ロンドン生まれ
17歳で映画デビュー 19歳で結婚・離婚後フランスに渡り作曲・作詞家のセルジュ・ゲンズブールと出会い結婚 公私にわたり何かと話題をまく
その後離婚するが後年和解し セルジュがガンで亡くなるまで最良のパートナーとして彼を支えたという
現在活躍中の女優 シャルロット・ゲンズブールは二人を両親に持つ



ある程度の年齢以上の人なら 何となくでも知っている人だよね
何というか 「お仕事は?」と聞いたら「ジェーン・バーキン」と答えが返ってきそうな
ananが創刊当時 ゲンズブールとふたりで表紙を飾っていた写真がとても印象強かった
あまりに過激で問題になった「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」もどこかで聞いたことがあるはず
のびのびとスリムな肢体はどちらかといえばボーイッシュで それまで人気の高かったブリジット・バルドーなどとは全く異質の魅力が目の覚めるほど新鮮だった


その彼女ももう62歳?
聞けば顔にメスを入れるのを嫌って美容整形は一切しないとのこと
(ハイ お顔を拝見すればナットクです)
最近は中年女性にとって「自然体」が一番!というスタンスがもてはやされ どう見ても「自然体」とはほど遠いんじゃない?という人までそれをウリにする傾向があるけれど
彼女の場合にはひと目見ただけでそれを納得させられてしまうところがすごい
積み重ねてきたものが自然ににじみ出て それでいて相変わらずジェーン・バーキン以外の何者でもないところがね・・♪


飛行機の中で隣合わせたエルメスの社長が彼女のためにデザインした「バーキン」というバッグのエピソードも面白かった
思いっきり踏んづけて 「こんな感じで使うのよ」と笑わせていたが 調べてみるとななななにこの値段
私が5000円で買った同じようなデザインのとどこが違うのっ!? なんて
(スイマセン ブランド物には全くうといので)(∩_∩)ゞ
そういう意味ではさすが超大物と これまた納得



これからも世界中の女性の希望の星として 活躍して下さいね♪

Jb4 Jb7





Jb1 Jb6

2008年1月24日 (木)

鴨沢祐仁さん 安らかに



以前 こちらでも紹介させていただいた
漫画家・イラストレーターの鴨沢祐仁さんがお亡くなりになりました
突然のことで本当に驚きました
20日にたまたまブログの解析を開いたら 「訃報 鴨沢祐仁」という検索が入っていたので
驚いて検索サイトを調べましたがなかなか情報が無くて・・
今日になって亡くなったのは12日くらいらしいこと 18日に発見されたことなどがわかりました
亡くなった原因はよくわからないのですが 11日にはご自分のブログにコメントを書いていらっしゃるので
突然倒れて亡くなられたとしか思えません


鴨沢さんのブログはいつも見ていましたが 何日も更新されないことはよくあったので まさかそんなことになっていたとは・・
でも正直言ってそのような危険は常にあったと言わざるを得ないほど お身体はボロボロだったのだと思います
八方塞がりの中で失意の日々を過ごされ どんなに苦しまれていたことか
これでようやく安らかになれたのかもしれない・・と思ってしまうのも正直な気持ちですが
でも何とか乗り越えてほしかった お元気になって新たな創作を始められるようになってほしかったです

Xie2_2 私は鴨沢さんのデビュー作「クシー君の発明」(1975年・ガロ)からのファン
本が出ればさっそく買い それらは今でも他の本とは別格扱い
時々取り出しては大事に大事に眺め 味わうのが楽しみでした
1年前 遺作となった「お父さんのクリスマス・ツリー」出版のサイン会で
初めてお会いしました
絵の人物って結局作者に似るといいますが 確かにクシー君がそのまま成長したようなもの静かな方
俳句の歳時記をお贈りしたら とても喜んで下さいました
クシー君の人形を真ん中にして 一緒に撮ってもらった写真が今となっては形見となってしまいました


ご自身でも俳句を詠まれる鴨沢さんは 時々私の俳句のブログにコメントを下さいましたが
ある時こんな句を書いて下さったのです


万緑の溪攀じる吾獣かな

Xie3
登山が趣味の鴨沢さんが 以前沢を登攀した時に詠んだのだそうですが
失礼ながら今のイメージとはかけ離れたダイナミックさに驚き その新鮮さに打たれました
そんな力強さが戻ってくるように 再び健康になられるように
ひそかに願っていたのですが 叶わなかったことが本当に残念です


そして初めて目にし ずっと好きだったこの句が
今は鴨沢さんの最期を描いているような気がしてなりません
とうとう星になって流れていってしまったのですね
苦しみから解放され あれほど愛していらした愛犬のペロくんともう離れることもなく
美しい星空で一緒に遊んでいらっしゃるでしょうか
そう思うことが 唯一の慰めです

Xie5

















鴨沢先生 きらきら輝く星々のような 一生の宝物をありがとうございました
そして本当にお疲れさまでした
どうぞ安らかにお休み下さいますように



君迎ふ霜夜のこいぬ座おおいぬ座     雪うさぎ



Xie4














鴨沢祐仁公式サイト(メモリアル)

2008年1月21日 (月)

花うさぎ



Hanausa
















辻村寿三郎の「花うさぎ」
先日三島へ行った折 たまたま佐野美術館で人形展をやっていたのでちょっと寄ってみました
こういう展覧会ってミュージアムショップが楽しみなんですよね
花うさぎの根付(というかストラップ)を見つけ ついつい購入
思いっきりみょ~んとお耳の長い花うさぎは一度見たら忘れられないインパクト
下にあるのはやはり花うさぎの小さな風呂敷です
孔雀のようなブルーが鮮やかでとても素敵♪
これもノートパソコンのカバーに使えそう (^-^)


辻村寿三郎よりも「ジュサブロー」の名のほうがピンときますね
最近改名なさったとのことです
辻村ジュサブローといえば人形の他にも着物のデザインや
舞台 映画の衣装デザイン
アートディレクターなど多彩な活躍で知られるアーティスト
人形展では吉原花魁や西鶴五人女など江戸情緒あふれる人形から
パリのキャバレーのレビューが聞こえてきそうな「Silk Doll Cabaret」
エキゾティック美女の「平成アールデコ」
なつかしいNHKの「新八犬伝」の人形なども展示されていました

Tukimura2













ジュサブローの美女って「男」の要素を多分に内包していて それが妖艶さに繋がっている
横顔を見ると男の顔で 正面にまわるとあでやかな美女に という妖しさ
そういえば男性でも多分に女性の要素を持っていて それが妖しい美しさに・・という人もいますよね
そのふたつの面が微妙な配合で溶け合う時 最高に魅力的なオーラを発するのかもしれません


あはは うさぎとはカンケイない話になっちゃいました (∩_∩)ゞ



2008年1月19日 (土)

魔(BlogPet)

きのうは魔人ブウは購入するつもりだった。

*このエントリは、ブログペットの「タラッタ♪」が書きました。

2008年1月16日 (水)

どんど焼き



年配の人にはなつかしい行事 「どんど焼き」
呼び方も地方によって違うようですが
1月14日の夜 または15日の朝 家々から集めた門松や注連縄 飾りなどを広場に集めて焚き 1年の豊作や無病息災を祈願するお正月の火祭りの行事です
むろん俳句の季語にもなっていますが 別名を「左義長」とも言うのですね
もともとが宮中のしきたりであり 青竹を束ね毬杖(毬を打つ長い柄)三本を結び その上に短冊や扇子を飾り火をつけて祀るという行事が起源らしい
火の勢いの盛んなほど喜ばれ 「どんど」とは激しく燃え上がる炎に向かってはやしたてる言葉だそうです
「どんどん」と同義語なのかな?


どんど焼きってあまり見た記憶が無く 一度見たいと思ってましたら
近くの町で毎年行われていることがネットの情報でわかりました
14日の夕方ということで うちの注連飾りも持って出かけてきました
場所は合併で今は深谷市となっている旧川本町の「もくせい館」
正式名は「深谷市高年齢者福祉青少年活動複合施設」というのですが まあ誰でも低料金で楽しめますというお役所製の娯楽施設?でしょうか
どんど焼きは小学校3~4年生を中心に行われるらしく 子供たちやその両親 世話役の人たちがどんど焼きのやぐらが組まれた庭で いくつもの炭火を熾した簡易かまどを作り 網を渡して色々焼いている様子
見ると四角やまゆ玉の形をしたお餅やじゃがいもなどが美味しそうに焼けていい匂い♪
近頃はあまり小さい子に縁がないので たくさんの子供たちが元気にお餅をほおばったり 走り回って遊んでいる姿が何だかすごく新鮮でした
見ていると世話役の人たちから「どうぞ一緒に食べてって下さい」と親切に勧められ 恐縮しながらお餅をいただきましたが 香ばしくて何とおいしいこと♪
炭火で焼いたお餅って何もつけなくてもこんなにおいしいんだ・・・・って感動

Dondo3_2 Dondo4 

どんどのやぐらはこんな風
「どこから来たの?」と聞かれたのがきっかけで色々と話してくれたご年配の男性
「昔はこの裏のたんぼでやったんだけどね 高さはこの倍くらいのがいくつもあって そりゃあ見事だったよ~」とのこと
今は子供も少なくなり 伝統行事も廃れつつあり おまけに環境の変化で焚き火もしづらくなったのはご存知の通り
今回もしっかり消防車が来て 事前に周辺に放水して待機
まあ安心ではありますけどね

Dondo2

















いよいよ暗くなった午後5時
丘の上から降りてくる聖火?のセレモニーを合図に
石油をしみこませたたいまつを持って子供たちで点火
火はあっというまに燃え上がり その勢いと高さはちょっと怖いほど
かなり離れて立っていても 熱が身体の前面に感じられます
時折竹の爆発する音がしてそのたびに火の粉が舞い上がり・・・
聞けば前日はかなり風が強かったそうで ほんと風の強い日なら怖いでしょうね・・

Dondo5 Dondo6









それにしても 炎って何てきれいなんでしょう
焚き火を好きな人ってけっこう多くて というより人間の深層の中には真の闇や寒さから守ってくれた「火」に対する抜きがたい思慕や郷愁が眠っていると思うのですよね
だから火が燃えているのを見ると何ともいえず心地よい
いつまでも見ていたくなる
最近はなかなかその機会がないので こういう体験は貴重です
ここぞとばかり堪能させてもらいましたが

Dondo1



















でも下火になるのもあっというまでした
炎はみるみる小さくなり 燠になっていきました
やぐらが10個くらいあればいいのにな~~ なんて
でもそれだったらさぞ壮観でしょうね♪

さて どんどの聖なる火もたっぷり浴びたし お餅も頂いたし
この1年は無病息災でいられるかな
本当に良いものを見せていただき 感謝(^-^)です♪
こういう伝統行事を 現代風にアレンジしてもよいから伝えていくってとても大事ですよね
それを実行しているのですから素晴らしいです
大人も子供も一緒に楽しめますし 自然に対する畏敬や感謝の念も自然に身につく
そして火の扱いの学習にもなります
うちの近所にも 何しろ田舎なのでどんどの一つや二つ出来る空き地や田畑もたくさんあるのだから
復活させればいいのに・・・
ハローウィンなんてなじみの無い行事はやらせるのに どうして自分たちの国のこうした楽しい伝統行事を大切にしないのか
私などはそれをほんとうに恥ずかしいことだと思ってしまうのです


ひとところ青き焔のどんどかな    雪うさぎ



 

2008年1月10日 (木)

実は大変だったお正月 (;^_^A



猫の武蔵が暮れの30日から突然吐きはじめ
食欲をなくしてしまいました
最初は何かヘンなものを食べたせいの一過性のもの?(何しろイタズラで 流しのスポンジを取ってきてかじったりしているので)と思い様子を見ていたのですが 嘔吐はおさまらず
食欲もまったく無し
普通ならこの時点ですぐに連れていく動物病院も すでに年末年始に入っているというなんというタイミングの悪さ!
大きくなったとはいえまだ子猫
食べられないとあっというまに体力が落ちてしまうのです
それ以上に吐くことによる脱水症状が怖い
おまけにお萩まで元気をなくし 食欲もなくなってくるところを見ると伝染病??と震え上がり
5日に病院が開くのを待っていられない と2日の朝から近隣の病院をチェックして電話をかけまくりました


でもたいていは呼び出し音が鳴るばかり
ようやく隣町の病院に繋がりましたが やはりそこもスタッフだけで先生は不在なので診察は出来ないとのこと
けれど親切に 提携している病院の電話番号をおしえてくれました
かけてみると二つ目の病院につながり スタッフの人が先生に連絡をとって下さるとの親切な応対で ようやく診察してもらえることに♪
もう地獄に仏です~~


あわててアクセスを調べ 猫2匹をキャリーに押し込んで熊谷に急行
先生はとりあえず可能性のある伝染病のチェックをしてくれて その心配は無いとのこと
けれど武蔵はやはり脱水をおこしていて危険なのでそのまま入院とあいなりました
お萩のほうは注射を打ってもらい 家で様子を見ることに
点滴の針を刺され ニャーニャー鳴いている武蔵の頭を撫で「がんばるんだよ」と励まして帰宅


翌日も心配で様子を見にいったのですが だいぶ良くなった様子
ケージの中で「出せ~出せ~」と言ってるみたいに大鳴き
結局その翌日 症状もよくなって食べられるようになったということで無事スピード退院しました

 
お萩のほうも序々に食欲が出てきてそのまま回復の様子
原因は結局特定できず・・・
帰ってきたその日から武蔵はもう大元気で ご飯はもりもり食べるわ イタズラは再開するわ
「こらっ!お前はもう~ ずっと入院してなさい!」なんて調子
何だったんだろう 一体・・・



今回お世話になった病院は 近いという理由で選んでいた病院とはずいぶん違うことに驚かされました
私も家人も 同じことを感じていました
2年前に亡くしたタジオも その前に亡くしたウェンディも 早めにこんな病院に連れてきていたら助かったかもしれない・・・と


もちろん結果的には同じだったかもしれない
それは今となっては言っても詮無いことだけど



病院は選ぶべし
もちろん人間もだけど 動物もね



ともあれ お正月休みなのにもかかわらず 丁寧に診て下さった獣医さん スタッフの皆さんに心からの感謝です


というサスペンスの日々のお正月でもありました
ほんと 何だったの?というくらい 今は元通り元気になった2匹ですが


実はもうひとつ 想定外のトラブルが・・・
武蔵のいなかった2日間 さびしそうに探しているみたいだったお萩ですが
帰ってきたら何とフーフー怒って武蔵を近づけないではありませんか
武蔵のほうは普通に遊んだり一緒に寝たりしたいのに 威嚇されてオロオロ・・
多分病院で他の動物や薬の匂いなどが染み付いて それに反応したのだと思うけれど・・
それとも一旦出た者はもう認めない とか?


最初は数メートルの距離を置いていたお萩でしたが やがて次第にもとに戻り
3日後にはまた一緒に寝たり 舐め合ったりするようになりました
やれやれ 一時はどうなることかと (;^_^A 
これでやっと一件落着とあいなりました



人も動物たちも元気が一番♪
のっけから大変だったけれど これでもう今年の厄はおしまい!ということになりますように (^-^)

Byougo

これでやっと元通り♪

2008年1月 9日 (水)

お正月破壊



◎ 正月とは本来 その年の豊穣を司る歳神さまをお迎えする行事です
歳神とは1年の初めにやってきて その歳の作物が豊かに実るように 
また家族みんなが元気で暮らせるように約束をしてくれる神さまです
正月に門松や注連飾り 鏡餅を飾ったりするのは すべて歳神さまを心から歓迎するための準備です
そもそも私たちの祖先は”すべてのモノには命がありなんらかの意味がある”という「アミニズム」を信仰しており作物の生命(いなだま)と人間の生命(たま)はひとつのものであると考えていました
そのため 人間は死ぬとその魂はこの世とは別の世界に行き ある一定の期間が過ぎると個人の区別が無くなり「祖霊」という大きな集団 いわゆる「ご先祖さま」になると信じられていました
この祖霊が正月には「歳神」となって子孫の繁栄を見守ってくれるのだと言います ◎

※「日本文化いろは辞典」より引用 ※



改めてこのようなお正月のいわれを読むと そうだったのか・・と思う反面
ある程度の年代以上の人なら 理屈以前にこのような感覚は多少なりとも染み付いているのではないだろうか
親とか学校からはっきりと教えられたわけではないけれど
暮れの大掃除やお正月準備の真剣にして目の回るような忙しさ
そしてすべて準備万端を整えて迎える元旦の清らかな静けさ 冷たさが
我々にとってお正月がいかに特別なものかということを 無言で教えてくれたような気がする

しかしそれも年々希薄になり 最近ではお正月さえただの休日になりつつあるのは寂しい限りだ
時代の流れといえばそれまでだが これも大げさにいえば「文化の衰退」の一端ではないだろうか
私はその元凶のひとつが スーパーの元旦営業であると思っている


大型スーパーが元旦営業を始めたのはいつだったか・・10年以上は経っているような
最初に始めたのはダイエーだったと記憶している
一店舗独占で営業していれば それはお客が入る
そうなると他のスーパーも指をくわえて見ているわけにはいかない
かくてあっというまに大型スーパーの元旦営業が定着してしまったわけだ


その結果 目には見えなくとも失われたものは計り知れない
いいじゃない 元旦も営業していれば便利だし という意見もあるだろうが そういう問題ではない
交通機関やサービス業界で元旦も仕事している人はいっぱいいるじゃない と言われるかもしれないがそういう問題でもない
本来心を新たに新しい年に思いを馳せ 神棚に灯明をあげて手を合わせ 
家族そろってお正月の膳をかこむなどの行為は神聖なものであり それは元旦早々スーパーに出かけて消費活動をするのとは対極にあるものだと思う
元旦とは神聖にして究極の”ハレ”の日であるべきなのだ
私は神も仏もいっしょくたで都合のいいほうを臨機応変で奉るというものすごくアバウトな(悪くいえばいい加減な)日本人の宗教観念こそ平和の源だと思っており(だってそうでしょ 他の神を認めない故に泥沼の戦争を何百年も続けている国は多い) 自身もそのクチなのだが 
その日本人が唯一あめつちの神々の温かさを感じられるような 凛とした清らかな元旦という日を 
スーパーで買物して遊んで過ごすのかっ!と暗澹とした気分になる
便利ということがそれほどいいことなのか
そういう感覚はそれだけのことにとどまらず まるでひとつの傷んだ蜜柑が周囲に伝染するようにじわじわと精神を腐らせていくと思うのだが・・・
そしてその「腐蝕」は 今やあらゆるところに拡大しつつあるような気がする


もっと具体的なことでは 暮れの楽しみも奪われる
大晦日まで年末の大売出しをしたって 元旦も営業するのなら何の意味があるだろう
以前はお正月お休みだから!と暮れの買物にも気合が入った
今はその熱気も失われている
メリハリの無くなった 気のぬけた年末だ
だいたい元旦にスーパーに行ったって 食品などの市場は休みなのだから
あるのは去年の売れ残りばかりってことだ
そんなものと引き換えに あのどこまでも凛と澄み渡るお正月の空気を消滅させてしまったスーパーの罪は深い
いや 最初の時点で「元旦に買物をするなんて!」と誰も行かなければこの習慣は立ち消えたのだろうけど 悲しいかな いとも簡単に消費者は便利さと欲望に負けたというわけだろうか
そんなつもりはなくとも それはまさに見事な文化の破壊となってしまった


少なくとも三が日 以前はどこも休んだものだ
しかしこの忙しい世の中
私だとてスーパーは三が日休め とは言わない(本音としては言いたいが)
進行してしまったものは後戻りは出来ない
例えばいくら懐かしもうとも 子供たちが外で羽根突きやコマ回しをしていた
あののんびりしたお正月は永遠に帰ってはこない


だけどせめて一日 元旦だけでいいのだ
あの清浄なお正月の空気を返してほしい
あるべき元旦の姿を返してほしい
スーパー側でもぜひ 文化という観点からもう一度考えてみてはくれないだろうか と
毎年心から願う次第である


Doutor


初カプチーノはドトールで♪

2008年1月 3日 (木)

謹賀新年



2008年 明けましておめでとうございます♪ 

当地は元旦 二日と寒いながら穏やかな日和となりました
でも昔と違ってお正月ムードはあまりありませんね・・
家の周辺にいる限りでは お正月を感じさせるのは家々の玄関飾りくらい
行き会うのはいつもの犬の散歩のメンバー(もちろん普段着 右に同じですが)
晴れ着を着ていたり 外で遊んでいる子供の姿も無し
地方によっては今でも濃厚なお正月ムードを残しているところも多いのでしょうが
何かと取り残されたみたいな東京近郊の田舎ではこんなものでしょうか


夜はTVでウィーンからのニューイヤーコンサートライヴなど楽しみました
これはおめでたいムードなので華やかで明るい曲が多く 
おせち料理を食べながら ちょっとした”おうちコンサート”の趣♪
こうやって平和な新年を迎えられたことは有難いことです
年末年始にかけ 世界各地でまたテロが頻発し 政情不安が拡大
世界が平和になるのは見果てぬ夢なのかもしれませんが・・・


ともあれ 本年もよろしくお願い申し上げます <(_ _)>


« 2007年12月 | トップページ | 2008年2月 »

本館・俳句ブログ

毎日シェルティ

サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想

Didier Merah Japan(青いボタンをクリックしてお聞き下さい)

Forget me not.