硫黄島二部作
二度と観たくない映画というのがある
といってもつまらないというわけではなく むしろ素晴らしい映画なのだが
何度も観るのは辛過ぎる 一度でたくさん というもの
例えば今月WOWOWで放映されたクリント・イーストウッド監督の「硫黄島二部作」
観る前から気が重い
パスしようかなあと思いつつ やはり観るべきだと思いなおす
映画というのは「娯楽」ではないのか??と考えてしまうのもこんな時
戦争映画を観る時にはいつもそんな風に気が重く
観終わると当然ながらより重くなっている
「戦場のピアニスト」しかり「プライベート・ライアン」しかり
もっと古くはカンボジア内戦を描いた「キリング・フィールド」なども・・
内戦といえば南アフリカで起きた民族紛争を描いた「ホテル・ルワンダ」の評価も高いが
虐殺の凄まじさをニュースや本などで垣間見ているので
申し訳ないけどとても観る勇気が無い
もっともずっと以前は「戦争映画イコール娯楽アクション」という時代もあった
「大脱走」なども史実を元にしているとはいえ 分類としてはそちらに入るのではないだろうか
実際の戦争(第二次世界大戦)からまだそれほど年月がたっていない時代のほうが娯楽アクションというのも不思議な気がするが
戦勝国であるアメリカにしてみればそういうハッピーな気分の時代だったのか
ヴェトナム戦争が失敗に終わり 失意の時代に入ると戦争映画も変化し出した
それはカウボーイが善 インディアンが悪という西部劇の終焉と時を同じくしていたと記憶している
人種差別も含む人権意識が世界中で変化したこともあり 以後善(味方)VS悪(敵)という単純な図式の戦争映画は影をひそめることになる
で 硫黄島二部作
かなり耐えて観たけれど
もちろんやはり二度と観たくはないです
けれど真摯にして素晴らしい映画だったとは言いたい
何よりクリント・イーストウッド監督の公正な視線には正直言って驚かされた
何だかんだいっても今までは日本に対する偏見や誤解がどうしてもちらつく映画が多かったので 今回もその意味でも気が重かったのだが
良い意味で裏切られた感じだ
「硫黄島からの手紙」は最後まで生き残る西郷一等兵(二宮和也)にちょっと違和感があったものの
考えてみればこれが日本映画でなくアメリカ映画であるとは信じがたいほど
日本人を正確に描いていた
渡辺謙 伊原剛志 加瀬亮 そして中村獅童の凄まじいばかりの熱演が素晴らしく やはりこれがいつものハリウッドように中国系などの俳優を使っていたらこうはいかなかっただろう
もうひとつの「父親たちの星条旗」は 壮絶な戦闘の末硫黄島を占領したしるしの星条旗を立てるあまりにも有名な写真
たまたまその被写体となった兵隊たちのその後の人生を描いている
そのために英雄に祭り上げられて翻弄され 国家の資金集めに利用される彼ら
しかし真実は英雄云々などとはほど遠いものだったのだ
「英雄とは人間が必要にかられて作るものだ そうでもしないと命を犠牲にする行為は理解し難いからだ」というフレーズは静かに戦争の狂気をえぐり出す
1945年2月から3月の硫黄島の激戦で
日本軍 守備隊約2万1千名のうち96%が戦死
アメリカ軍 海兵隊7万のうち戦死者約7千名 戦傷者2万1千名
調べるまでもなく 日本人であろうとアメリカ人であろうと
家族を愛し 故郷を愛し 国を愛し 平和に暮していきたいと思うことは同じなはずだ
戦後60年もたってようやくそれがわかったのかとも言いたいが
それがこれらの映画の中から まだまだ対立の多い実際の世界に浸透してゆくことを心から願いたい
余談だが戦後50年目であった平成7年
硫黄島で50周年の慰霊行事が行われ 横綱の土俵入りが奉納されたのをご存知だろうか
日米両軍の元兵士や自決した栗林指揮官の未亡人の見守る中 当時の横綱であったアメリカ出身の曙と 貴乃花が土俵入りを奉納したそうだ
「あゝ・・母なる大地アメリカと
瑞穂豊かな日本が
過ぐる第二の大戦で
太平洋上この孤島
守るも攻むるも国のため
将兵三万華と散る・・・」
というのがその時の硫黄島相撲甚句だそうで
まだ硫黄島に眠る幾万の兵士の霊が 少しでも慰められるよう祈るばかりだ
それにしてもこういう場合はまったく




























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