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2007年8月15日 (水)

今さら映画σ(^^) / 「太陽はひとりぼっち」



手元に40年以上前の映画音楽のフォノシート・アルバムがある。
(フォノシートといっても生まれた時からCDのある世代にはわからないだろうが
要するにビニール製のレコードのこと。
以前はB級のレコードとして色々な用途で使われていたと記憶している。
当時でも こんなペラペラでよく音が出るなあと思っていた)

父が買ってきたのだが収録されている映画音楽がとても気に入り 何十回となく聞いたものだ。
中でも好きだったのが「太陽はひとりぼっち」のテーマ。
後からサントラとはまったくアレンジが違うとわかったがその物憂い、それでいて官能をかきたてるようなブルース風のメロディに魅了されてしまった。

Monika3

実際にこの映画を観たのはそれから何十年も経った つい数年前のこと。
そして先日NHKのBSで放映されたので再び観ることに。
はからずもその数日後 監督であるミケランジェロ・アントニオーニの訃報が伝えられた。
アントニオーニといえば「愛の不毛」を描くことで有名な監督。
その4部作のうちの1本がこの「太陽はひとりぼっち」

タイトルはアラン・ドロンのデビュー作としてあまりに有名な「太陽がいっぱい」の二番煎じのようだが 原題「L'Eclipse」は日蝕などの「蝕」という意味で、 
あながち的外れではないようだ。
現代人の心をむしばむという意味の「蝕」なのだろうか。


Monika2 ”夜を徹した話し合いにも倦み もう話す事もなくなって婚約者のリカルドと別れたヴィットリア(モニカ・ヴィッティ)
原因は彼女自身にもわからない。
「君を幸せにしたかった」という婚約者を振り切り家を出れば
ローマの街はぎらぎらとした夏の日が始まっていた。
母親に話そうと彼女が入り浸る証券取引所に行くが 母は相場に夢中でそれどころではない。
だがそれがきっかけで 以前からの顔見知りだったやり手仲買人のピエロ(アラン・ドロン)と急速に親しくなっていく。
女友だちと騒いだり 気晴らしに友人の夫が操縦する飛行機に乗ったりするのと同じように、ヴィットリアはピエロと逢い、逢えば愛し合う。
株の暴落もうわのそらなほどヴィットリアに夢中になるピエロだが、 
すぐに彼女の決して踏み込めない醒めた部分に気づくことになる。
愛しているのか 結婚はいやなのか 答えることが出来ないヴィットリア、
「わからないって言うな」と苛立つピエロ

それでもふたりはお互いを確かめ合うかのように 逢わずにはいられない。
「明日逢おう あさっても その次の日も・・」
「そうね ずっと毎日・・・今夜も」
ふたりの別れた後の街に夏の日が落ち 水銀灯が日蝕の太陽のように光を放っていた。


大雑把に言えばそんなストーリーなのだが、はっきり言って「のる」ことが出来なければこんな退屈な映画は無いかもしれない。
逆に気分がマッチすれば ひとつひとつの何気ない街の場面にさえ深い意味が見出され、謎解きにも似た面白さを味わうことが出来るかもしれない。


Monika1_2  こういう「愛の不毛」「虚無感」て60年代の流行だったのよ、の一言で片付けてしまう人もいるかもしれないが、その「空虚感」はどこから湧いたものだろう?
1962年の製作なので舞台となったローマは日本と同じような高度成長期なのか、
郊外に作られる近未来的なアパート群、広い道路、 街灯の列などが印象的に描かれるのだが、その描写にも茫漠とした空虚感がつきまとう。
今見てもSF?と思うほどの無機質な街は、戦争を経て一度焦土となった地から少し奇形じみて成長してきた奇妙な植物のようでもある。
そしてその時代を考えれば、以前は考えられなかった「核」という恐怖が色濃く影を落としていることにも気づく。
映画のラスト、延々と続く無言の街の描写の中で、バスから降りてくる男の持つ新聞に踊る「各国競って核開発」の文字。
そして冒頭、ヴィットリアの開けたカーテンの向こうにそびえる異様な建物。
最初ウェルズの描く火星人みたいと思ったが、見ようによっては核爆発のキノコ雲にも見えるではないか。
おりしもこの翌年の1963年、世界を恐怖のどん底に叩き込んだあの「キューバ危機」が起こることを思えば、
考えられている以上にアントニオーニはこの作品で 「諦観」あるいは「無常観」に包まれた、核への恐怖を描きたかったのかもしれない。
そう、何をしても空しく満たされないというヴィットリアの空虚な心は、何をしてもしなくても、愛しても愛さなくてもいずれは滅んでしまうんだという絶望感の裏返しであるのかもしれない・・・・

Kakugumo







とまあ今日は終戦記念日でもあるので少し「核」に重点を置いて推測してみたが、
全編を流れる気だるい虚無感は気分やファッションとしてもとても魅力的で 
退屈で観てられない!と思わない人ならどっぷり浸って楽しめる。
文明の対比としてだろうか、ちりばめられるアフリカのイメージや、
唯一躍動感いっぱいに描かれる当時の証券取引所の株売買の様子も面白い。
(今はたいていひとりでPCとにらめっこしつつ売買なんでしょ)


「アンニュイ」が服を着たようなモニカ・ヴィッティははまり役で、彼女以外の女優では考えられないほど。
笑顔で背を向けた時にはもう凍りついた仮面のような表情になるのだが、
犬を相手にしたり 株で大損をしたという男をカフェまで付けていって様子を伺う場面などに見せる無邪気な表情も素敵で、ハスキーな声がまたたまらない。
対するアラン・ドロンはといえば、デビュー間もない彼の際立ったクールな美貌が「空虚」の素材のひとつでしかないことがいっそ小気味良い。
そのために役立った美貌とは何とも皮肉ではないか。
ついでだが「ピエロ」という名前は日本でいうところの「道化師」という意味ではないようだが、人生の悲哀を演じるパントマイマー「ペドロリーノ」が語源だということを考えると、何かドロンが狂言回し的存在に見えてくるのが可笑しい。
(対する「ヴィットリア」は「勝利」だし・・)


ところで映画の中で使われるテーマ曲はほんの短い時間で 当時流行のツイスト風のアレンジだった。
あとは効果音?とも思える武満徹ふうの現代音楽が雰囲気を盛り上げている。
現代・・・といってもそれからすでに45年。
今ならアントニオーニはどんな世界を描くことだろうか。



4部作の他の映画はまだ観ていないが
彼の作品ではもうひとつ 1970年にアメリカで製作された「砂丘」という映画を観ている。
音楽にピンク・フロイドを起用した、こちらはヴェトナム戦争などの影が色濃い70年代風愛の不毛。
評価はいまいちだったようだが時代を反映した独特の雰囲気やラストの衝撃が忘れ難い。
アントニオーニ監督が亡くなってしまったのを機会に、というと不謹慎だが
他の映画も含め こちらもBSあたりで近いうちに放映してくれるのではないかとひそかに期待しているのだ。

Monikadvd


「太陽はひとりぼっち」
1962年フランス・イタリア
ローマが舞台なのにフランス語だったけど
イタリア語バージョンもあるのかも・・・・

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コメント

はじめまして。

ギー藤田と申します。

ひょっとしたらと思い、今日は昼前から雪うさぎさんのところに入り浸っております。「Lost Rumbler」にコメントを入れてくれた雪うさぎさん?ですか? 

そうでなくても、貴女の数々の日乗に時間を忘れて気がついたらもうこんな時間になっておりました。

☆ギー藤田さん

はじめまして、コメントありがとうございます。
残念ながらコメントの雪うさぎさんとは別人ですが・・。

マイナーなブログを読んで下さり、恐縮です。
藤田さんのブログも見つけちゃいました♪
時々こっそり読みに行きますのでよろしくです。confident

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