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2007年3月

2007年3月31日 (土)

フォーラム@nifty終了



niftyのフォーラムやサークルが とうとう今日で終了になりますね
もう役目を終えた・・と書いてあったけど サークルなどはけっこう盛況な部屋も残っており 残念というか悔しい思いをしている人も多いことでしょう
とはいえ やはりこういった世界の変動は早く やむをえない部分もあるのかな
と そういう私も早々にサークルをばっくれてHP ブログに移行しちゃったクチですが・・(∩_∩)ゞ
にしてもnifのサークルには色々と思い出も多く 感慨深いものがあります
調べてみたところ 残っている古い書き込みのコピーは2001年春の日付
多分その年の冬から参加したものと記憶しています
その頃はね まだPCは持ってなく こ~んなツールで発信していました
シャープのアイプリメーラMA-10(汚くてスミマセン)
Ipm2 Ipm1







ちょっとインターネットが出来 メールの送受信が出来 印刷もOKというワープロ仕立ての端末機
そんな感じで使えればいいやと そんなもんやめてPCを買うべきだという息子の反対を押し切って購入(後から思えば実に賢明な意見でありました 笑)
当時はまだアナログ回線で 繋ぐにも時間がかかるわ料金は気になるわで現在とはまったくネット環境が違いましたね
少しすると11時以降はフリー料金とか出てきて・・それまで待って書き込みしたり 苦労したものです
PCを使ったことのなかった私はそんなものだと思っていたけど 今思うとこのツール ほんと原始時代という感じ(;^_^A
そうこうしているうちに 2002年夏 @niftyの大リニューアルがやってきました
マイデスクやモンタージュが出来たのもこの時でしたね
当時私はある方の運営していた俳句のサークルに所属していたのですが リニューアル後 なんと書き込みが出来ない!
リニューアルに伴って複雑化されたシステムにウチの原始的なツールではアクセスできなくなったわけ
閲覧は出来るのですがどうしても発言は出来ず 仕方なく息子のノートパソコンを借りて使い方を教えてもらい 再び参加できるようになりました
パソコンを使うようになって 初めてプリメーラのコンセプトが理解できたというか・・(笑)

そのコンセプトじゃ持って2年だよ・・・(-_-;)
まあこの世界の激動の方向は そうカンタンにわかるものではないですよね
でも借りた(というか強奪した?)PCも古かったため 何度か故障 不具合
そのたびにメール受信 せめて閲覧など このプリメーラ活躍してくれました
今でも使えると思うけど ウチのいたずら娘が仔犬の頃気持ち良さそうにマウスのコードを食いちぎってしまい
まあそれを買い換えることは無いだろうなあ・・ということで粗大ゴミ状態となっています

そんなプリメーラでフリートークなどのサークルを楽しませてもらい
所属サークルが廃止になってからは俳句を書きたくて自分でサークルを開設
2003年から2年とちょっと 楽しく利用させていただきました
その頃にはもうADSLで料金の心配などもなくなり 快適なネット環境に
あの頃はサークルも盛況で活気がありましたね
私がサークルをやめたのは やはり突き詰めれば「役目は終わった」ということに尽きるのであって
交流などを目的としたサークルとは違い 俳句を書くという目的だとHPなどのほうが都合がいいですから
やはり簡単に開けるHPやブログの存在が後押ししてくれたと言えるでしょう
とはいえ サークルではたくさんの方に来ていただいて本当に嬉しかったですけど♪
それは今でも宝物のような思い出です (^-^)

時代はどんどん変る・・
ついていくのに一苦労ともいえるけれど エキサイティングで楽しい とも言える
新しいものが出るたびに抵抗してはみるものの いつしか仲良くなっている というシチェーションは一生変らないのかも(#^.^#)
ともあれフォーラム@nifty終了 お疲れさまでした

ある方にこんなサイトをおしえていただきました
なんと懐かしい過去に出会えたんですよ・・(^o^)♪
でも人によっては残したくないものまで残ってしまったら困るのかも・・・



2008/9/4追記

申し訳ありません、上記のリンク先は既に見ることができません。m(_ _)m

2007年3月29日 (木)

植木等 「大市民」


植木等さんが亡くなりましたね
誰でも「またひとつの昭和が消えた」と言いたくなるのでしょうね
私にもそんなイメージがありますが 考えてみると「無責任男」などの東宝映画シリーズも見たことがなく 昔のバラエティ番組などで断片的に知っている という程度
ご本人の素顔はいたって真面目だったそうですが TVなどではともかく明るくて思わず笑いを誘われ こちらの気分まで明るくなるようでした
まああの頃は日本中がそんな明るい時代だったのだけど・・
中年になってからはコメディとはイメージの違うシリアスドラマなどでその演技が高く評価されましたが そのはるか以前に私にとって絶対に忘れられない作品があるのです
それは「子供の頃観たNHKドラマ・白黒・単発・共演は左幸子・ テーマ音楽は「鞄を持った女のブルース」(これはイタリア映画「鞄を持った女」のテーマ曲だということをあとで知りました)
覚えているのはこれだけ
ともかく何気なく観たドラマだったのですが ものすごく印象的だったのは当時としてはとても前衛的な作品だったからだと思います
その「当時」がいつだったのかも長いことわからなかったのですが・・・

さきほど検索をかけ ようやく突きとめることができました
タイトルは「大市民」
放送は1966年
なんと3年も前の2004年に「NHKアーカイブス」で再放送されていたんですね
あんなに長いこと もう一度観たいと思っていたのに (;。;)
アーカイブスのHPを見ても内容にはあまり触れていないのですが・・・

たしか団地に住む平凡なサラリーマン 妻と小学生の男の子だったと思う
季節は夏だったかなあ
何故か夫 妻 子供それぞれに いつもの生活を覆すような不条理なトラブルが襲いかかり 悪戦苦闘する一日を淡々と描く という内容だったと思います
そのトラブルを通して 日常生活の奥にひそむぼんやりとした危機感が透けて見えてくる・・という感じだったかな
テーマ曲の都会的なものうい旋律が 今思えば「虚無」とか「不毛」などというイメージを想起させ それがたまらなく新鮮だったのです
調べてみると1966年といえば植木等はコメディアンとして一番油ののった時代
毎年東宝の「クレージー映画」が上映され TVのバラエティやCMにもひっぱりだこだった頃でしょう
このドラマではそんな彼とは180度違った姿を見たわけで 印象はそれだけ強烈だったと思われます
そんなわけで私にとっては植木等といえば 「大市民」が一番のインパクト ということになるようです

それにしても・・多分今観ても素晴らしく斬新なドラマだと思うんですよ
そうそう アーカイブスによればこの作品 第21回芸術祭奨励賞受賞 第6回日本テレフィルム技術賞受賞(黒白撮影)
もう一度再放送してくれないかな・・・すごくすごく 観たい~~
と思っていたら 放映されたドラマはライブラリーとしてどうやらNHKの施設に行けば視聴が出来るらしい
う~ん こういうのも自宅のPCに取りこんで観ることが出来ればいいのにねえ・・・



植木等さん どうぞ安らかに
合掌

Ueki
こちらがその1966年に公開された
東宝クレイジー映画のひとつのようです
日本自体が上昇志向の元気な時代だったのかな・・










※追記 「大市民」続報はこちらへ

2007年3月27日 (火)

信玄餅


母の一周忌 および父の三十三回忌のため 菩提寺のある甲府まで行ってきました
今日だったら良かったのに・・・と恨めしく思うほど 前日も今日も良いお天気なのに 昨日だけが雨
しかも前半は土砂降り
高速を走るのもめちゃめちゃ久しぶりだというのに 何なのよこの雨は・・・と泣きたい気分
おかげで高速といえども60キロくらいしか出せず あやうく遅刻するところでした
母はけっこう「晴れ女」だったのに その神通力も消えてしまったんだねえ・・・などと
変なところで改めて納得した兄弟三人でありました

Singenmoti ところで甲府といえばこの「信玄餅
すっかり甲府の というか山梨の銘菓となった感がありますが 昭和43年発売といいますからそれほど古い歴史があるわけではないのですね
TVの武田信玄のドラマなどからブレイクしたみたいです
水飴を使った柔らかいお餅にきな粉と黒蜜をまぶして食べる
なかなか美味しいのですが え~とビニールの風呂敷をほどく→フタを開ける→黒蜜のフタを取ってお餅にかける→きな粉をこぼさないようにお餅にうまく絡める→なおかつ蜜およびきな粉が残らないよう お餅と同時に食べ切る とまあこういうプロセスがわずらわしいと 例えばウチの夫や息子などは言うわけです
確かにヘタをするとフタを開けた時点できな粉が飛び散っちゃったりしてね・・(;^_^A
まあビニールの風呂敷はそのために でもあるのでしょうが
きな粉を絡めるのもちょっと手間がかかり 残さずきれいに食べ切るのもけっこう難しく せっかちな現代人にはイライラしちゃう面もあるのかも・・
う~ん お餅に黒蜜を入れちゃうなんてどうかな
でもそういうプロセスを楽しみながら味わう・・という余裕を持ちたいものだ とも思うんですけどね
包装は箱入りもありますが この信玄袋をイメージしたコンパクトなものが好感度高し♪かな(赤 白の袋も有り)

そういえばごく小さい時の甲府名物といえば
これも今でも売っている「月の雫」というお菓子
名産の大粒の甲州ぶどうを砂糖蜜でコーティングしたもので 贅沢な味わいが大好きでした
でも生のぶどうを使うため 期間限定にしかならないのが弱みだったとか
あと名前を忘れたけれど ぶどうを型どった一口サイズの羊羹
箸などで一突きすると一瞬で皮が剥けるのが面白かったです♪

お墓参りのため 小さい頃から何度となく行っているのだけど 実は甲府は苦手な街
山に囲まれた盆地というのがすごい閉塞感で しかも夏はハンパじゃない暑さ
昔は富士宮から身延線で行ったのですが どんどん山に分け入っていく感じが凄まじいほどで 帰りはとっぷり暮れた山の中を「かい○○(その頃は「甲斐」だとはわからなかった」)と書かれた無人駅に延々と停車しながら・・というのがなんともいえず心細く寂しく
ようやく海に面した街の灯が見えてきた時の安堵感は今でも忘れられません (;^_^A

それから長い年月が過ぎ 連れていってくれた両親も今は一緒にお参りしたお墓の中に・・
苦手なんて言ってないで ちょくちょくお墓参りに来なくちゃね
7月には圏央道がとうとう八王子まで開通するらしいし♪
高速一本で甲府まで なんて隔世の感があります
秋のお彼岸の時のお土産は「月の雫」にしようかな・・(^-^)


Dangouinu


なにしろ雨だったのでせっかく咲いていた桃の花なども撮れず・・
撮ったのは談合坂S.Aで会ったこのワンちゃんだけでした・・(T_T)





2007年3月22日 (木)

花見酒


「無頼」ということばにちょっと憧れる
「無頼漢」などという言葉は死語になってしまったが 現代だってその種の人間は絶滅したわけではなく 思い通りにならないとすぐキレるようなジコチュー人間とは違う気骨のある「正しい無頼?」な人々もたくさんいるとは思う
では女性で無頼漢はいないのか?
「漢」というのは男性を表すのでそもそもこの言葉はあてはまらず それに相当する言葉が無いところを見ると 女性は最初から想定外ということになるだろうか
でも中にはいるんですよね 「無頼派」の女性も
漫画家の西原理恵子は立派な無頼漢だと思う
実は90年代初頭週間朝日に連載していた「恨ミシュラン」以来のファンなのだが その作風は年月とともに過激さを増し 結婚して子供がふたり出来
子育てマンガで新境地を開拓するも基本的なスタンスは今も変らず その過激さと絵の破壊力はこちらが疲れている時などは到底読めたものではないところまで来ている・・・

そんな彼女の夫が鴨志田穣氏
なにしろ西原サンは本人曰く「大道芸人マンガ家」
私生活もネタとして赤裸々に描いてくれるので 読者もそのなれそめから恋愛(一見とてもそうは見えないが)
結婚 子供たちとの生活 闘病 離婚 そして復縁と逐一を目撃することになる
無頼派の彼女の夫はもちろんみごとな無頼漢
高校卒業後タイに渡り放浪紆余曲折の後 ジャーナリストの橋田信介氏と出会い 戦場カメラマンとして世界各地を回るように
西原理恵子とはタイで出会い 一目ぼれしたようだ
結婚後はふたりの子供に恵まれ夫婦での共著も多く出すが アルコール依存症がひどくなり離婚
本格的な治療で依存症を克服し 復縁するも 腎臓がんのためこの3月20日に永眠した
まだ小さな子供を残し享年42歳という早すぎる死だった

無頼派同士のカップルというものを想像すると 凄まじいものがあるのだろうと思わずにいられない
けれど読者であればサイバラにしろ鴨ちゃんにしろ(そう呼ばれて親しまれている)これでもかとさらけ出されるそのダメさ加減が共感を呼ぶとともに どうしようもない過激さの中にある人一倍の繊細さや優しさ 地獄まで見た人間の本質に向き合う心などをごく自然に感じとることが出来るのだ
それにしても 同じ無頼といってもやはり男と女では見事なまでに違うのだな・・とも思う
家庭を持っても放浪というイメージから抜けきれなかった鴨ちゃんに対し
土佐のハチキンであるサイバラのなんとしっかり足の地についた強さ 豊かさよ
本当に女性の鑑 なんて一番似合いそうもないフレーズが一番当てはまってしまう
挫折しながらも思い通りに生き そんな惚れぬいた彼女に看取られて逝った素敵な無頼漢は
やはり幸せだったのだろう とたいていの読者は思うことだろう

鴨志田さん 安らかに
ちょうど東京に桜が咲き始めた日
天国で花見酒を楽しんで下さいね



東京に桜点じて旅立てり     雪うさぎ

Kamosida_1 

2007年3月16日 (金)

日本沈没


Nihontinbotu2_1 映画「日本沈没」を観ました
去年の夏 劇場へ観にいこうかな~と思いつつ あまり評判も芳しくないようだし
でも特撮はやはり劇場に限るし・・などとのんきに悩んでいるうちに公開は終わってしまい
最近レンタル開始になったDVDをさっそく借りたというわけ
ともかく駄作 ろくでもない映画だよ という辛辣な声が多かったし 多分そうなんだろうなあと思いながら観たのだけど
・・・まあやはりお世辞にも秀作とは言い難いですね~残念ながら
ともかく何もかもが「薄っぺら」というのが印象だろうか
原作を読んだのはずいぶん昔だけど とてつもなく「重い」テーマだと感じていた
日本列島が沈没することで国という後ろ盾を失った日本人は たとえ外国に逃れたとしてもそれからどうなるのか・・という
気の遠くなるような重たさね
映画ではその点には殆ど触れられず 単なるパニック映画で終わってしまっている
しかも最後に特殊爆弾を海中のプレートに埋め込んで連鎖的に爆破させ 列島から切り離す・・って 
誰でも連想してしまう そう 「アルマゲドン」の二番煎じ??
確かに原作に忠実ならいいってものじゃなく 特にこのようなSFでは時代とともに新しい知識情報が入ってくるのだから無理のない部分はあるのだけど 
はっきり「アルマゲドン」を連想させちゃ そりゃあまずいですよ
主演は草薙剛 柴崎コウ 豊川悦司 大地真央など
草薙くんをもってきたこと自体 たとえようのない薄さ というか「軽さ」というか
いや別に彼が嫌いだというわけではないのだけど なんか存在感がなさすぎ・・・
ヒロインの柴崎コウは 日本の映画女優って彼女しかいないのっ??とつっこみたくなるほど(ところで彼女の「どろろ」ってどうだったのよ?!)演技が上手いとは到底言えないのに何故ここまで使いまわされるのかわけわかんない・・・
そのふたりの恋がまた薄っぺらで 消化不良もいいところ
地震や火山爆発のシーンも 最新の技術を使っているだろう割りには思ったほどの迫力ではなかった
でも滅び行く各地(京都とか名古屋とか函館とか)の断末魔のシーンをあざとく出されるとやはりじいんときちゃうものが・・
まあ秀作とは言い難いけどそれなりに楽しめる部分もあるさ・・と

Nihontinbotu73 ・・思いつつTHUTAYAに返却に行き ふと手にとったのはひとつだけ紛れこんでいた1973年制作の「日本沈没」
そういえばこちらも観ていなかったし♪といそいそ借りてきて観ましたよ
そしてもう 驚いてしまった
だって新作よりこちらのほうが何倍も面白く 迫力も重みもあるんだもの
1973年といえばそれほど昔には思えないのだけど 何よりあの頃の日本と今では全く変わってしまったこと
それが「現実」であることが怖いくらいだった
登場人物をはじめ全てに存在感があり 足が地についている感じとでも言おうか・・
そういえば電化製品などはすべてが「薄く 軽く」なってきたのが「進化」であったように ある意味人間もライトに進化しつつあるのかもしれない なんて思ってしまった
だから新作の役者を旧作と比べてみたところで意味はないのだが・・
さらに驚いたことは 以前とは比べものにならないほど進化したと思われた特撮が 旧作のほうが凄まじい迫力だったこと
ミニチュアが CGが・・なんて評論できる知識はないので「見たまま」なんだけど 30年以上前の特撮のほうがあんなに素晴らしいってちょっと情けなくないですか
それとも劇場で見たら違うのだろうか・・・
旧作の主演は藤岡弘(草薙くんとあまりに対照的なのが笑える) 
ヒロインにいしだあゆみ
といっても登場人物の設定や役まわりが新作とは全く異なっており 新作ではすぐに死んでしまう首相(丹波哲郎 新作では石坂浩二)が最後まで残って存在感を示し続ける
苦悩しながらひとりでも多くの人々を海外に逃そうと奔走する政府関係者の姿も 新作では政治家は民間人を見捨ててさっさと海外に逃亡する という描き方とは対照的だ
そうやって必死になりながらも 一方では日本人はこのまま日本列島とともに沈むのが一番良いことなのだという感覚が多くの人の胸に去来する
多分それは真実・・と思い知る人は多いのではないだろうか
1973年版にはそんな思いを突きつけられる まさに「重み」がある
ともかく双方の作品を比べて観るのは実に面白く お勧めです♪

21世紀になり どうやら地震活動が活発化しつつあることを思えば どちらにしてもとうてい荒唐無稽なストーリーとは思えない
地球儀を見ていれば あんなに小さな日本列島など 地球の身震いひとつで一晩で消滅してしまってもおかしくないと思えてくる
地殻変動だけではない 急激な温暖化も何をもたらすか想像もつかない
そんな変化変動は 何十億年のあいだにたえず繰り返されてきたのだ
人類はたかだか数十万年 たまたま無事に生きてこられたに過ぎない
そういう意味ではこの話はただのSFから現実のことになっていく可能性大だと思うと
心底怖いですねえ・・・・

私なら難民となって外国を彷徨うくらいならやはり日本と心中するね・・と思うけど
今でなく もう少し時代が進めば宇宙に活路を求める という手があるかもしれない
何百万の人々が快適に暮らせるスペースコロニー
あるいは月や火星のテラフォーム化
そんな時代まで生き延びられれば 不可能ではない
どちらにしても自分はそんな時代まで生きられないけどせめて


富士山の噴火だけは見たくない・・・(・_・、)



そうそう 2006年版公開にあわせて制作された映画「日本以外全部沈没」って知ってます?
筒井康隆がパロディとして書いた小説の映画化なんだけど B(C?)級ながら笑えますよ
皮肉や毒が満載なんだけど それもすべて現実に則しているところがやっぱり怖いね
それにしてもほんと・・・理想はともかく現実にはどこの人間も「国」の後ろ盾がなければどんなに弱く不安定な存在か
これまた思いしらされる って感じです

Nihonigai_1

 

2007年3月13日 (火)

一日で・・・・(;^_^A

Ym3 姉妹?ブログ「HAIKU-GALLERY」に新しくやってきたブログ・ペットの美齢(メイリン)
さっそく翌日からお出かけ開始です
タラッタ♪は殆ど出かけなかったけど この差ってナンなんでしょうね?
やつふさ君のところに出かけていきました







Ym1_1 ボケで答えたりはするものの
やはり新参者という意識があるのか  とっても素直でして(^o^)
何でも「好き♪」という優等生のお答え











Ym2 Ym4













続いてタラッタ♪のところにも出かけ まずはコント?
Tm3 Tm1
Tm4












タラッタ♪のところでもとってもスナオでして・・・(#^.^#)
Tm













ところが今日のこと 再びやつふさ君のところにお邪魔している美齢を発見
するとどうでしょう

Ym5
なんというか 一日で態度がでかく・・・(笑)


こんなヤツですが 以後よろしくお願いいたします (;^_^A

雪うさぎが(BlogPet)

雪うさぎが
戦後の昭和21年から三月区に住んだ俳人の石田波郷は東京大空襲で焼野原となった地を 「焦土諷詠」と呼ばれる一連の俳句に詠み大きな反響を呼びおこした
っていってたの。

*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「タラッタ♪」が書きました。

2007年3月10日 (土)

三月十日

三月十日運河に赤い毬ひとつ   酒井雪子


戦争の経験の無い私たちでも 聞けば胸がしんと凍てつくような気持ちになる・・・
原爆と並んで三月十日の東京大空襲もそんな話のひとつだ
さまざまな本や映画 TVドラマなどでも繰り返しも描かれてきたので その衝撃とあいまってすでに「記憶」めいた位置を占めているのかもしれない
酒井雪子さんのこの句は ただ運河に浮かぶ赤い毬を描いただけで
封印を瞬時に解くようにその記憶を生々しく蘇らせるのではないだろうか
そしてあれから何十年もたっているにもかかわらず いまだに終わっていないものがあり
漠然とした危機感は現在の東京にも漂っている というような気分を味わわされる


(昭和20年3月10日未明 344機のB29大編隊が江東 墨田 台東区など東京下町を来襲
周囲に焼夷弾を投下して火の壁を作り住民を閉じ込めた後
2時間にわたり約100万発もの油脂 高温発火式などの焼夷弾を投下
火の海を逃げまどう住民に容赦なく機銃掃射を浴びせた
一夜の犠牲者の数は10万人以上
判別もつかないほど炭化した遺体も多く 縁者が引き取った遺体はわずか2割足らずだったという)


秋草や焼跡は川また運河     石田波郷


戦後の昭和21年から江東区に住んだ俳人の石田波郷は東京大空襲で焼野原となった地を 「焦土諷詠」と呼ばれる一連の俳句に詠み
大きな反響を呼びおこした


繁縷や焦土の色の雀ども

百方の焼けて年逝く小名木川

焼工場年逝く鳰をたゞよはす

硝子戸に焼跡ゆがむ野分かな

束の間や寒雲燃えて金焦土

(繁縷・・・はこべら)


何の説明もなく ある情景が淡々と描かれているだけなのに
読み手それぞれに想起されるものは違うとしても 
もし体験者が読んだとしたら
描かれた情景から浮かびあがってくる思いはどれほど深いものだろうか
酒井さんの句といい 17文字でそれだけのものを引き出すということに
今さらながら俳句の底知れぬ強さを感じてしまうのだ



それにしても戦争の酷さは 本当は体験した人でなければわからないのだろうが・・・
二度とそんな目に遭うことのないよう 遭わせることのないよう
そう願いながらも 今も世界のどこかで戦争のために惨殺されていく子供がいるという事実に絶望してしまう
今日は3月10日
私にはただその日に思いを馳せ 現実の重みに頭をかかえ
黙祷することくらいしか出来ない


Tanimano2

「学童疎開」ってなんのことだかわからなかった小学生の頃
戦争を私に教えてくれた本です
その衝撃は消えることなく 今に至っているのだと思います

「谷間の底から」
柴田道子作 東都書房
初版 昭和34年

2007年3月 4日 (日)

anan創刊

1970年3月3日、
雑誌「anan」の創刊日。An1
























「今日は何の日」を見て思い出したのは、 何故か表の雪が太陽に輝いて車内に明るく映えている新幹線の記憶。
多分その時に あの新しい雑誌を買ってみよう、 とか思ったのだろうけどそんなことはすっかり忘れていたのに・・。
記憶というものは時に信じられないような不意の蘇り方をするものだ・・・
などということはどうでもいいのだが、 改めて数えてみるとその日から37年という月日が経っている。
で 今でもあるの?ananて?
最近雑誌などは全く読まないので検索してみたら、 あ 今でもちゃんとあるのですね 週刊誌になって。

もう語り尽くされてはいるだろうけど ananの創刊は衝撃的だった。
その前に確か「平凡パンチ女性版」という助走期間があったのだが、
当時の私には「平凡パンチ」でさえ近寄ったらキケンな大人の雑誌 という感じだったのだ。
An2
















女性のための全く新しい雑誌が生まれるということにちょっとわくわくしながら、
それでもまだ 見ていいのかな・・という逡巡があったりして・・・
そして買い求めた創刊号、 これだけは今でも持っているのだが、
これは本当に革命的にその後の女性を変えた という事実は動かしようがないだろうね・・
An4














ファッションひとつをとっても、 それ以前のファッションといったら私など母の読んでいた「主婦の友」系の本しか浮かばない。
当時でもいたスノッブな人たち(今とは比較にならないほど少数だったからよけいにスノッブよね)はパリコレの情報が知りたかったら自分で「ELLE」を取り寄せなければならなかったはずだ。
ananは「ELLE  JAPON」のサブタイトルがついている通り 「ELLE」のファッションを一般に紹介してくれた。
そしてのちに伝説となるモデル カメラマンたちを使って多くの海外ロケを敢行し anan独自のファッションを展開していく。

An3

















1970年といえば 一般の人には海外旅行などまだ夢だった時代。
それもただ平板なファッション誌というだけでなく斬新なレイアウトと、 まるで一緒にヨーロッパを旅していると思わせるような、 これまたのちに「anan調」とよばれる語り口で若い女性の心を掴んだのだ。
ananの創刊前に「セリーヌ」や「ルイ・ヴィトン」なんていうものの存在を知っていた女性がいただろうか。
新しい映画の紹介 六本木のおいしいお店の紹介。
「キャンティのスパゲッティ・バジリコがおいしいわ」というのを読んで、 それがどういうものか理解する人がどれだけいただろうか。
何もかもが新しかった


An5

















創刊号はいきなりそのヨーロッパロケ。
モデル 立川ユリ、 もちろんデザイナーは金子功。
カメラマンは立木三朗。
加納典明撮影のelle et lui(鰐淵晴子&タッド・若松)
長沢節解説のパリコレ70 
ロバート・レッドフォードの紹介
片山健の挿絵が幻想的な澁澤龍彦訳の「赤ずきんちゃん」(もちろん狼に食べられてendなバージョンね)
紹介されている新作映画はビスコンティの「地獄に堕ちた勇者ども」 パゾリーニの「テオレマ」など
他に無名モデルのメタモルフォーゼ実験、 インテリア 星占いなどがあり、
「ヒッピーから生まれて世界中に広がったタッチ運動」なんて時代を感じさせる記事もある。
特筆すべきはこの号に三島由紀夫が創刊の祝辞を寄せ エッセイを寄稿していることだ。
あの市谷自衛隊での「三島事件」がまさにこの年の11月だったことを思うと人の心の不可解さに言葉を失う・・

An6

















この創刊以来 もっともananらしかったのは最初の3年間くらいだったろうか。
その頃のものは全部とっておいたのだが、 結局気にいった記事だけを切り取って処分してしまったのが今も悔やまれるくらい。
「スタイリスト」なんて職業もまだ確立されていなかった頃 伝説のディレクター堀内誠一をはじめ 「anan調」を生み出したライターの三宅菊子、 カメラマンの立木義浩、 三朗(現 佐夫郎?)十文字美信 加納典明
イラストレーター大橋歩、 宇野亜喜良、 小林泰彦、 エッセイスト松山猛 
立川ユリ、 マリ、 秋川リサをはじめとして多くのモデル、 そしてデザイナーたちがあらゆるジャンルにおいてそれまでとは全く違ったユニークで美しくて独創的な世界を構築した。
初期の頃にあった「少数者のページ」の耽美、 写真と文を組み合わせて展開するエッセイとも詩ともつかない洒脱なコーナーなどには魅了されっぱなしだった。
立木義浩が撮るファミリーヌードも衝撃的だが美しさが勝っていた。
「ELLE」直伝の料理の写真もまったく未知の世界を覗かせてくれ 持っているだけで嬉しかった。
だがそのあまりにユニークな編集方針は必ずしも部数のUPに有益ではなかったらしく ananはやがて方針を変え 内容をより一般的にと大きく変更してゆく。
その時点で私はもうananから離れてしまったが ananの1年後に創刊された「nonno」と併せ「アンノン族」を生み出したことは社会現象として誰もが覚えていることだろう。

もう何年も手にとってみたことさえないけれど やはり当時の面影などは皆無なのでしょうねえ・・・
もちろんいつの時代も 雑誌はその時代 その世代のためのもの。
今の若い人たちも 後年なつかしく思い出すことは間違いないだろうけど、
自分たちの時代って面白い!とは思うのだろうかとちょっと疑問に感じる(なんて思うのは独断かな)
どちらにしても私は自分の時代を楽しんできたし これからも楽しんでいきたいと思っているけどね♪

う~んそれにしてもこうやって書いてみると 思っていた以上にananは自分の中で影響が強かったのかもしれない なんて今思います

An7





















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